カテゴリー「読書」の28件の記事

2009年9月 7日 (月)

「政治を科学する」 - どないして?

間もなく誕生する予定の「鳩山首相」は、初の「理系」出身の首相ということで、ちょっとした話題になっているようだ。御本人も「政治を科学する」と仰っている様子。

確かに鳩山さんは、東大工学部を出てスタンフォード大学大学院でPh.D.(博士)をとり、東工大助手、専修大学助教授、という理系研究者活動を30代半ばまでやっておられたようだ。

専門は、OR(オペレーションズ・リサーチ)などの経営工学。いわゆる「自然科学」というより、応用数学の分野だ。

もっとも、そんな昔の活動歴は、今の政治活動には直接関係しないだろう。何でもいいから、よろしくたのんまっせ。

ところで、「理系」出身で「政治を科学する」と言えば、かの大前研一さんが思い浮かぶ。大前さんも、マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院の原子力工学科でPh.D.をとり、しばらく日立製作所で技師として働いていたのだ。

大前さんの著書はどれも面白い。バリバリに理詰めで、日本と日本人が進むべき道が説き示される。まるでアジテーション演説のように、読むと元気が出る気分になる。

にもかかわらず1995年の東京都知事選で青島幸男氏に敗れたのは何故だったのだろう。

それはともかく、大前さんの最近の著書『最強国家ニッポンの設計図』。自民、民主はじめ、各政党のマニフェストよりは読んでためになる、かもしれない。

最強国家ニッポンの設計図 Book 最強国家ニッポンの設計図

著者:大前 研一
販売元:小学館
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2009年9月 4日 (金)

『図説 あらすじでわかる! 日本の仏』 は楽しい本だぞ

『図説 あらすじでわかる! 日本の仏』(速水侑著、青春新書、2009)(注1)が楽しい。子供の頃に読んだ『ウルトラ怪獣大図鑑』みたいな感じでいろいろな仏(如来、菩薩、明王、天部、垂迹部・羅漢)が解説されている。

アルボムッレ・スマナサーラさんが言うように、本来のブッダの教え(仏教)は「宗教」ではなく「心の科学」と言うべきものだ(注2)。神様や仏様を信仰しろ、というような話は出てこない。

しかし時代が下り、増加する仏教専門家(お坊さん)の生活を維持するために、ブッダの教えを実践するほど気合いの入っていない大勢の人々を「信者」にしなければならなくなった。

その一環として、バラモン教・ヒンドゥー教の影響も受けつつ、「拝めば御利益がある」という数々の仏教キャラクターが作り出されていった。言ってみれば、「せんとくん」みたいなものだろうか。日本ではさらに、「神仏習合」によって神道との融合も進む。

今日の帰りの電車の中で読んでいたのは、「弥勒菩薩」の項。

弥勒菩薩の像として有名なのが、広隆寺の「半跏思惟像」(はんかしゆいぞう)。右足首を左膝の上に乗せて座っている。

そう言えば、電車の中でこの「半跏思惟像」の座り方をしている人をよく見かけるぞ。

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(注)

  1. 『図説 あらすじでわかる! 日本の仏』(速水侑著、青春新書)
    図説 あらすじでわかる!日本の仏 (青春新書インテリジェンス) Book 図説 あらすじでわかる!日本の仏 (青春新書インテリジェンス)

    販売元:青春出版社
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  2. 『仏教は心の科学』(アルボムッレ・スマナサーラ著、宝島社文庫)
    仏教は心の科学  (宝島社文庫) Book 仏教は心の科学  (宝島社文庫)

    著者:アルボムッレ・スマナサーラ
    販売元:宝島社
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2009年9月 2日 (水)

『大日本「健康」帝国』

『大日本「健康」帝国』(林信吾・葛岡智恭著、平凡社新書、2009)という本が面白い。

「メタボ健診」「禁煙運動」「ダイエット」「アンチエイジング」等々の最近の「健康ブーム」は、国民の健康を願ってのものではなく、医療費削減を目的として厚労省が仕掛けているものだ。

それはあたかも、大東亜戦争時、徴兵検査合格率の低下を危惧した軍部が「厚生省」設立を働きかけ、「強い兵士は健康な国民から生まれる」のキャッチフレーズのもとに健康増進運動を仕掛けたのと似ている。。。

と著者は述べている。

1997年に「成人病」の呼び名が「生活習慣病」と変わった。

この名称変更により、「年をとって体にガタがきて病気になるのは、まあ仕方のないこっちゃ」という考え方から、「病気になるのは生活習慣が悪かったからだ(自己責任だ)」という考え方へと、多くの国民の意識が誘導されてしまった。

言い方を変えると、「病気というものはきちんと健康に気をつけていればきっと『予防』できる」、「病気になったら、なった奴が悪い」、という考え方に多くの国民が洗脳されてしまったのだ。

最近の「新型インフルエンザ」に対する人々の反応にも、それが現れている。「インフルエンザは予防できる」「インフルエンザにかかるのは自己責任だ」「インフルエンザにかかった奴は隔離しろ」、という主張が溢れている。

一方で、医療費抑制を根本動機としつつ、不可解な「メタボ基準」は、「不健康」な中高年を大量に創り出して医療費を押し上げている(そのカラクリの一つは、確かにこの本の著者が主張するように、医学界・製薬業界が絡む「利権」によるものかもしれない)。

「健康のためなら命も惜しくない」と言わんばかりの健康への強迫観念。

そんなに「健康」に執着していたら、間違いなく体を壊しますけぇのぉ。

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大日本「健康」帝国―あなたの身体は誰のものか (平凡社新書) Book 大日本「健康」帝国―あなたの身体は誰のものか (平凡社新書)

著者:林 信吾,葛岡 智恭
販売元:平凡社
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2009年8月15日 (土)

『「大日本帝国」崩壊 - 東アジアの1945年』

1945年8月15日正午。昭和天皇による「玉音放送」がラジオから流れた。戦争の終結(連合国への日本の降伏)を「帝国臣民」に告げるものだった。

玉音放送は、現在の「日本」(内地)だけでなく、樺太・千島はもとより、「外地」と呼ばれた朝鮮、台湾、南洋群島、さらに満洲国でも流された。

日本の当時の国名は「大日本帝国」。大日本帝国の領土は、現在の「日本国」(内地)ばかりでなく、上記の「外地」を含むものだった。外地に住む人々も、日本人(「帝国臣民」)だったわけだ。

とすれば、「外地」で何が起きていたのかは、日本の歴史の一部として知らなければならない。

加藤聖文著『「大日本帝国」崩壊 -東アジアの1945年』(中公新書、2009年)は、大日本帝国崩壊前後の「内地」と「外地」の様子を知る上で役に立つ本だ。

同書の「はじめに」より抜粋して引用する:
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「当時の日本の正式な国名だった『大日本帝国』を一つのまとまりとして、どこまでイメージできるだろうか。事実、大日本帝国の版図を正確に答えられる人は、いまどれだけいるだろうか。」(同書ⅰページより)

「玉音放送に表われる『忠良ナル爾(なんじ)臣民』とは誰を指したのか。実はそこに表われる臣民とは、内地にいる『日本人』だけになっていた。『国体護持』をめぐる対立のなかで、『帝国臣民』は一度も顧慮されなかったのである。」(同書ⅱページより)

「帝国の崩壊は、同時に新しい国家、新しい国際秩序の誕生をもたらした。日本人にとって帝国の崩壊の結果、朝鮮半島や台湾や満洲で起きた新国家の誕生は決して無関係ではない。」「朝鮮、台湾、満洲では、日本の敗戦は単に日本人ばかりだけではなく、さまざまな民族に深い影響を与えていった。しかし、この感覚を多くの日本人は持ってはいない。」(同書ⅳ-ⅴページより)

「戦後の日本人は帝国の記憶の何を忘れ去ってしまったのか、いつから東アジアとの歴史のつながりを断ち切ってしまったのか。これらを自らの歴史として自覚することで、われわれにとって大日本帝国は決して過去の遺物ではないことが明らかになろう。」(同書ⅴページより)

(以上、同書「はじめに」より引用)
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戦後日本の平和・民主主義とは、「内地」限定の内向き思考に基づくものだったのではないか。

インターネットも普及し、「大東亜共栄圏」どころか世界が一つにつながろうとしている今になってすら、ちょっとした経済不況のせいなのか、自信を失い「外地」に怯えた臆病な亡国のネトウヨが「内地」限定思考丸出しのネット書き込みを垂れ流す始末だ。

敗北主義的な「内地」限定思考に陥る前に、かつて失敗した帝国主義的大東亜共栄圏構想について学び、全世界共栄圏構想でも考えた方がいいぞ。
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「大日本帝国」崩壊―東アジアの1945年 (中公新書) Book 「大日本帝国」崩壊―東アジアの1945年 (中公新書)

著者:加藤 聖文
販売元:中央公論新社
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2009年8月10日 (月)

『社員のモチベーションは上げるな!』

宋文洲著『社員のモチベーションは上げるな!』(幻冬舎、2009年7月刊)を読んだ。

仕事上のマネジメントの問題に関心のある人向け。上司の立場の人にも部下の立場の人にも、また、就職活動をしている学生にも参考になる内容だ。一見逆説的ながら、非常に合理的な主張が並んでいて、面白かった。読みやすい。

各章のタイトルと、印象的だった節のタイトルを列挙してみよう:

  1. 社員のモチベーションは上げるな!
    上司に部下のモチベーションは上げられない/面接で研修制度について質問する人は雇うな/モチベーションを連発する会社はダメになる/楽しい職場はモチベーションを下げる/愛社精神の押しつけはモチベーションを下げる
  2. やる気のない部下はこうして動かす
    部下をほめてはいけない/非正規社員の方が仕事ができる!?/「商品企画部」が売れないものを量産する/できる社員にまかせきりの会社は危ない!
  3. 「上司は動くな」は大間違い!
    「ホウレンソウ」の徹底が、責任転嫁を生む/人を管理する上司は、部下をダメにする/管理するのは人ではなく、仕事の中身!/会議好きな上司は、自信がないだけ/上司の思いつきが、部下をダメにする/ダメな上司ほど、サービス残業をさせる
  4. 不況に強い会社には秘密がある
    鰯と企業には共通点がある/精神論で押し切る会社は、末期状態/カタカナ英語が飛び交う会社は危険な兆候!/赤信号、みんなで渡ると失敗する!/日本型の成果主義は社員をダメにする
  5. できる社員はこう生きる
    恵まれすぎる環境は社員をダメにする/他人と比較しても意味がない!/飽くなき欲が不幸を呼ぶ/「負けたくない」が原動力になる
  6. やる気のないあなたに救いはあるか
    やる気がありすぎる母親は、子どもをダメにする/なぜ金持ちになりたくない若者が増えているのか/なぜえらくなりたくない若者が増えているのか/なぜ結婚したくない若者が増えているのか/努力は必ずしも報われない/努力の方向を間違えるな!/努力している”つもり”が一番タチが悪い
  7. 「差」があるから、がんばれる
    不況になると、格差の議論が減るのはなぜか/不安があるから、がんばれる/意味のない苦労はするな!/不況が人を成長させ、社会を変える

例えば「成果主義」について、著者は言う。「上司は、部下の仕事の結果だけを見るのではなく、プロセスを見なければならないのです。そして、どこに問題があるのかを指摘し、それを改善するように指示しなければなりません。」「本当の成果主義とは、そういった仕事のプロセスを評価することなのです」(同書133ページより引用)。

「結果」は、「プロセス」によって生まれるものだ。また、「結果」は、ある一人の人の努力だけで良くなったり悪くなったりするものではない。いい「結果」を得たければ、「プロセス」こそが重要だ。これについては私も以前書いたことがある(注1)。

一方で、「本当に努力している人は、きちんと成果を上げています。成果を上げられないなら、それは間違った努力といえるでしょう。すぐに方向転換すべきです」(同書204ページより引用)。「努力している”つもり”になっている人は、残業をします。残業することで、努力した”つもり”になっているのです」(同書202ページより引用)。

非常にまっとうなことを、真正面から述べてくれている。

著者の宋文洲さんは、メルマガやブログもやっているようだ(注2)。時々チェックしてみよう。
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(注)

  1. 「結果がすべて」という不幸な発想 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-a35a.html
  2. 宋文洲さんのブログ http://www.soubunshu.com/
社員のモチベーションは上げるな! Book 社員のモチベーションは上げるな!

著者:宋 文洲
販売元:幻冬舎
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2009年7月30日 (木)

花の天保六年組

通勤の電車の中では、もっぱら読書して過ごす。

私の場合(東京23区内在住)、行きは下り、帰りは上り。しかも始発駅から終点までが乗車区間。都心の通勤なのに車内は混まず、必ず余裕で座って読書できる。片道二十数分の貴重な時間だ。

今読んでいる本は、原口泉著『世界危機をチャンスに変えた幕末維新の知恵』(PHP新書、2009年)。幕末維新の話は面白い。遠過ぎず近過ぎない激動の時代。

「花の天保六年組」。

天保六年は、今の暦でいうと1835年1月29日から1836年2月16日までの期間に相当する。この時期に、坂本龍馬、小松帯刀、篤姫、土方歳三、松平容保、松方正義、五代友厚、前島密ら、幕末維新史の重要人物が集中して生まれているそうだ。

今日の帰りの電車で、同書第二章「小松帯刀が坂本龍馬に託した世界進出」をちょうど読み終えた。

明治元年1月1日は、今の暦で1868年1月25日。幕末維新には、坂本龍馬、小松帯刀ら、当時20代後半から30代前半の人達が政治・経済で大活躍していたのだった。

コネタマ参加中: 通勤・通学電車の中では何して過ごす?

世界危機をチャンスに変えた幕末維新の知恵 (PHP新書) Book 世界危機をチャンスに変えた幕末維新の知恵 (PHP新書)

著者:原口 泉
販売元:PHP研究所
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2009年7月20日 (月)

ダイジョーブッ教!

1か月程前の新聞等に、「天台宗と真言宗-1200年ぶりに歴史的和解」というような記事が出ていた。

今年6月15日、天台宗のトップが、開祖以来初めて、高野山にある真言宗の総本山・金剛峰寺を訪問したのだ。

例えば、asahi.comの記事にはこうある。

「天台宗(総本山・比叡山延暦寺)トップの半田孝淳(はんだ・こうじゅん)座主(ざす)が(6月)15日、和歌山県高野町の高野山真言宗総本山金剛峯寺を訪れた。天台宗開祖の最澄は晩年、経典の貸し借りをめぐって空海と疎遠になったとされ、両宗派の開宗以来1200年間で初めての公式参拝となった」(注1、同記事より引用)。

「経典の貸し借りをめぐって」、と確執の原因が何だか微笑ましいが、一体何の「経典」だったのか。

武光誠著『日本人なら知っておきたい仏教』(河出書房新社、夢新書、2006)には、次のようにある。

「八一三年に最澄と空海は決定的な対立を起こした。これは、空海が『理趣経』にもとづく男女関係にかかわる難解な呪術を最澄に教えなかったことによるといわれる」(同書p.107より引用)。

最澄(767-822年、日本の天台宗の開祖)も空海(774-835年、日本の真言宗の開祖)も、804年の遣唐使に参加して唐に留学し、当時流行中だった密教などを学んだ。

813年時点で、最澄は46歳、空海は39歳だ。最澄より七歳年下の空海は、日頃はいろいろと最澄に教えてもらう立場にあった。

で、ケンカのきっかけになった『理趣経』とはどんなお経なのか。

例えば、松長有慶著『理趣経』(中公文庫BIBLO、2002)の解説(Amazon.co.jp の同書ページの「内容(BOOKデータベースより)」)には次のようにある。

「セックスの本質は生命力を積極的に生かし、人類に奉仕する立場にふり向けること。無我の境地に立つとき、欲望は浄化され清浄となる」。

うーん。。。

もっとも、空海が最澄に『理趣経』関係の文献の貸し出しを断ったというのは、後世の作り話かもしれないらしい。

ニュース記事には、金ピカの衣装で着飾った両宗派のトップ(座主)同士がニッコリ握手する写真が載っている(注1)。

ゴータマ・シッダッタ(ブッダ)の時代から1000年以上たった唐の時代。日本に伝わることになった「仏教」は、既に様々な時代状況を反映して、オリジナルのブッダの教えからは大きく変容していた。

徹底的に合理的なブッダの本来の教えに興味がある人には、アルボムッレ・スマナサーラさんの著作をお薦めしたい(注2)。

ところで、天台宗と真言宗が1200年も確執を続けたなんて、ホントだろうか。先日の「R25」の記事によると、どうやらそんな確執というほどのものはもともとなかったようだ(注3)。
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(注)

  1. asahi.com2009年6月15日付記事 http://www.asahi.com/national/update/0615/OSK200906150041.html
  2. 例えば、アルボムッレ・スマナサーラ著『仏教は心の科学』(宝島社、2007年)
  3. R25 2009年7月16日付記事 http://r25.jp/b/honshi/a/ranking_review_details/id/110000007453
日本人なら知っておきたい仏教 (KAWADE夢新書) Book 日本人なら知っておきたい仏教 (KAWADE夢新書)

著者:武光 誠
販売元:河出書房新社
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理趣経 (中公文庫BIBLIO) Book 理趣経 (中公文庫BIBLIO)

著者:松長 有慶
販売元:中央公論新社
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仏教は心の科学  (宝島社文庫) Book 仏教は心の科学  (宝島社文庫)

著者:アルボムッレ・スマナサーラ
販売元:宝島社
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2009年6月19日 (金)

これからの日本は農業がチャンス! かもしれない…

少子高齢化。にもかかわらず大卒が就職難。圧倒的に老後の団塊世代に有利な世の中。おまけに、100年に1度の金融危機、、、と、若者(団塊世代以降はとりあえず「若者」としよう)には踏んだり蹴ったりの時代だ。

しかし。ひょっとしてこれからの日本の若者にとっては、農業がチャンスかもしれない。

現在の農業従事者は高齢者が中心だ。後継者に困っている。しかも、これまでの日本の農業は、あまりにも特殊な環境に置かれてきた(実質的に世襲制、政府による規制と保護、兼業農家、等々)。外国からの安い農産物の輸入に圧倒されて、国産農産物は「贅沢品」に成り下がっている有様。

これまでの農業の構造が危機に瀕している。ということは逆に、これから新しい「農業」が否応なく生み出されてくるということではないのか。

日本から農業が消えることはあり得ない。シンガポールならいざしらず、日本はかなりデカい。イギリスよりも、西欧の多くの国よりも、デカい。そんな国から、生きるための基本である食糧生産活動が消えることはあり得ない。

「アメリカなどの広大な農地を活用した農業ビジネスに日本が対抗できるわけがない」、という意見も根強い。しかし、何も小麦を作ってアメリカに対抗しようというわけではないのだ。

就職に困っている若者は、都会のみみっちい企業なんか見捨てて、農業に飛び込むのがいいかもしれない。絶対農業での働き口はあるはずだ。食うに困らないはずだ。しかも、これからの農業にはいろんな工夫を凝らす余地がありそうだ。農業ベンチャーの時代だ。。。

と思っていたら、本屋で、『日本の農業は成長産業に変えられる』(大泉一貫著、洋泉社新書、2009年6月刊)、という本が目に付いた。これから読んで勉強しよう。

日本の農業は成長産業に変えられる (新書y) Book 日本の農業は成長産業に変えられる (新書y)

著者:大泉 一貫
販売元:洋泉社
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2009年6月17日 (水)

負のプラシーボ効果・・・ 心の力は偉大なり

実際には効果のない薬でも、効果があると思って服用すると、本当に効果が出ることがある。。。 これが「プラシーボ効果」だ。プラシーボ(placebo)とは、「偽薬」のことだ。

一方、実際には効果のある薬なのに、効果がないと思って服用すると、本当に効果が出なくなることもある、という。いわば「負のプラシーボ効果」だ。

高田明和著『誰も知らないサプリメントの真実』(朝日新書、2009)には、このようなプラシーボ効果にまつわる面白い話が記されている。その他、サプリメント(ビタミン剤や健康食品など)に焦点を当てて、それらの効果に関する最近の研究結果が数多く紹介されている。この本はお薦めだ。

大半のサプリメントの「効果」は、実は「プラシーボ効果」かもしれない。。 いやそれどころか、かなりの薬の効果も、実は「プラシーボ効果」かもしれない。。

心の力というものは、それほどまでに強大なのだ。

心を制すること、心を整えることは、サプリメントを摂るよりもはるかに体のためになるということが、正負のプラシーボ効果によって示されている。

誰も知らないサプリメントの真実 (朝日新書 183) Book 誰も知らないサプリメントの真実 (朝日新書 183)

著者:高田 明和
販売元:朝日新聞出版
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2009年6月10日 (水)

人間の本業

会社の仕事で悩んでいる人は多い。上司のパワハラ、クビ・倒産の不安・・・。鬱状態になる人もいる。

そんな時は、こう考えよう。人間の生きる目的、つまり本業(ほんぎょう)は、心を磨くこと、未完成で未熟な人格を完成させること。会社の仕事なんかは一時的な仕事。副業だ。上司に怒られても、「会社にいるときだけだから大したことない」という感じで受け流せばいい。うまくいかなくてもうまくいっても、そんなものは副業であって本業ではない、とクールに生きる。。。

先日買ったアルボムッレ・スマナサーラさんの本、『初期仏教経典解説シリーズⅠ 沙門果経』の中に、そのように書かれてあった(pp.129-131)。

人間の本業は心を磨くこと。それに納得すれば、会社の仕事で悩んだり落ち込んだりすることもなくなるかもしれない。

スマナサーラさんが繰り返し述べているように、本来「仏教(ブッダの教え)」は「宗教」ではなく「心の科学」だ。信じるのではなく、理解して納得する世界だ。最古層の経典『沙門果経』は、そういうブッダその人の教えを記録している。

沙門果経―仏道を歩む人は瞬時に幸福になる (初期仏教経典解説シリーズ) Book 沙門果経―仏道を歩む人は瞬時に幸福になる (初期仏教経典解説シリーズ)

著者:アルボムッレ・スマナサーラ
販売元:サンガ
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2009年6月 8日 (月)

「世界誕生○○前仮説」

前の記事で、「世界誕生数秒前仮説」という、竹内薫さんが著書『99.9%は仮説』の中で紹介している仮説を紹介した(注)。

その仮説とは、「この世界は、実は、ほんの数秒前に誕生したばかりです。でも、あなたの頭には精巧なニセ記憶が仕込まれているので、あなたはもう長いあいだ生きていると思っているし、地球は何十億年も続いていると考えているのです」(同書p.178より引用)というものだ。

この仮説を「否定することはできない」というのが通説らしいが。。。

「そんなことはないだろう」という常識的な偏見のもとに、いろいろと屁理屈を考えてみた。

まず、この仮説が成り立つなら、「世界誕生数分前仮説」、「世界誕生数時間前仮説」、「世界誕生数日前仮説」、「世界誕生数年前仮説」、「世界誕生数十年前仮説」、、等々、自分が生まれて以降の任意の時点での無数の「世界誕生仮説」が、まったく同様の論理で成り立つはずだ。

ところが、それらの仮説は決して同時には成り立たない。と言って、どれも否定できない。したがって、どれも成り立たない。

ちょっと苦しいだろうか。。。

しかし、こういう仮説が否定できないというのなら、例えば、「人間は死後、阿弥陀様に導かれて西方の極楽浄土へ赴く」という仮説も否定できないということだろう。

つまり、「反証可能」でないから、こんな仮説は「科学」の仮説ではないということだろう。「哲学」の仮説にはなるかもしれないが。
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(注) 『「世界誕生数秒前仮説」。。。は「科学」なんっすか?』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-f25c.html

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2009年6月 7日 (日)

「世界誕生数秒前仮説」。。。は「科学」なんっすか?

前の記事でも書いたが、竹内薫さんの本『99.9%は仮説』は面白い本だ。お薦めしたい。

が、前の記事でも書いたように、疑問に思う部分もいくつかある(注1)。同書178ページで紹介されている「あたまが柔らかくなる仮説⑤」の「世界誕生数秒前仮説」もその一つだ。

「世界誕生数秒前仮説」とはこういうものだ。「この世界は、実は、ほんの数秒前に誕生したばかりです。でも、あなたの頭には精巧なニセ記憶が仕込まれているので、あなたはもう長いあいだ生きていると思っているし、地球は何十億年も続いていると考えているのです。」(同書同ページより引用)

「この仮説を否定する方法はありますか?」「自分なりに考えてみてください」というのが、私たちの頭を柔らかくしてくれるための竹内さんの問いかけだ。「これは哲学者がよくあげる例」だそうだ(同書p.240)。

あたまを柔らかくしたいので、私もいろいろ考えてみた。しかし妙案が思いつかない。

竹内さんも紹介しているように(同書p.241)、「この仮説を否定する証拠はありません」。つまり、この仮説を反証する方法はありません、ということだ。

ところが、著者の竹内さんも同書中(p.132)で述べているように、「科学」の仮説とは「反証可能」でなければならないのではないか。

とすれば、「世界誕生数秒前仮説」は、科学ではないということになる。オカルトや宗教の同類ということだ。「哲学者がよく挙げる例」だそうだが、やはり「哲学」とはオカルト・宗教の同類ということなのか。そんな「仮説」について考えてみても、「あたまが柔らかく」なったりするのだろうか。。。

竹内さんがこの仮説を紹介した意図がよくわからなかった。ひょっとして、「科学」と「非科学」を見分けるための練習問題、ということなのだろうか。それなら話はわかるが。

しかし、本当にこの仮説を否定する方法はないのだろうか。哲学者や竹内さんは「ない」とおっしゃっているが。

何かあるような気がする。いつか思いついたら書きます。

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(注)

  1. 『「科学はもともと哲学だった」…そりゃあまりにも西洋近代中心主義的な誤解っすよ』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-fcb3.html
99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書) Book 99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

著者:竹内 薫
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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「科学はもともと哲学だった」・・・そりゃあまりにも西洋近代中心主義的な誤解っすよ

少し前に出版された本になるが、竹内薫さんの『99.9%は仮説』(光文社新書)を読んでいる。

この本はなかなか面白くて、ためになる。読みやすい。「花咲爺さん」の異名を取るらしい竹内薫さんの人柄を表しているのだろう、とても優しい語り口だ。私がよく見る『たけしのコマネチ数学科』(フジテレビ)での竹内薫さんの姿が思い浮かぶ。

しかし途中、気になる箇所があった。それはp.141からの「科学はもともと哲学だった」という節だ。その節の要旨は次のようなものだ:

  1. 科学的思考の基礎がなおざりにされている。
  2. 科学は細分化し過ぎて、土台があやふやになっている。
  3. 「科学」という訳語は、明治時代に西周(にし・あまね)が考案したもので、「多くの科に分かれた学問」という意味だ。
  4. 「もともと西洋では、科学の前身は哲学でした。」
  5. 西洋では今でも科学の分野で博士号をとると「哲学博士」となるが、それは科学が哲学の一部であったころの名残りだ。
  6. 日本では、哲学の部分から抜け出て細分化された状態で「科学」が輸入された。
  7. そのため、日本の科学は、「西洋で脈々と受け継がれてきた歴史や精神に欠ける部分があります。」

要するに、科学をするには西洋哲学(特に科学史、科学哲学)を学ぶ必要がある、という主張だ。

この内容には、二重、三重、四重、、、に疑問がある。

上の1、2の点はいいとしよう。その点はまさに心しなければならない。「理系」とは、清く正しく理詰めで生きる道なのだ。

3について補足すると、「科学」のみならず「哲学」という訳語も、明治時代の西周が考案したものだ。科学は「science」、哲学は「philosophy」に相当する。

4が問題だ。竹内さんの説によると、もともと「哲学」という母体があって、そこから「科学」が分化してできた、ということになる。

しかし昔の西洋に関して言うなら、そもそも、「自然」に関することも「社会」に関することも「人生」に関することも、何かものを深く考えること、つまり学問全般をひっくるめて philosophy と呼んでいたのだ。

語源的には、philo(愛) + sophy(智)(智を愛すること love of wisdom)だ。昔の西洋でphilosophyとは、要するに「学問」のことだったのだ。現代で言う「哲学」自体、昔のphilosophyから細分化してできたものと言える。

したがって、「『科学』はもともと『哲学』だった」のではない。それを言うなら、「科学」も「哲学」も、もともと単なる「学問」と呼ばれる活動の中の各分野だった、という方が正しい。

5については、以前の記事でも書いた(注1)。Doctor of Philosophy (Ph.D.)に、「哲学博士」というような意味はない。あえて言えば、「学問博士」だ(日本の「学術博士」みたいだが)。科学分野に限らず、文学、法学、経済学で博士号をとっても Doctor of Philosophy だ。

6については、ある意味正しい。ただし日本では、「科学」のみならず「哲学」も、philosophyから抜け出て細分化された状態で輸入されたものだ。

7については、したがって、「科学」の土台をしっかりさせるために西洋の「哲学」を学んでも意味はない。そもそも、科学は「西洋の文化」ではないからだ。古代インド、中東、エジプトも「西洋」と呼ぶなら話は少しだけ別になるが。ただし、科学史、科学哲学をもっと教養として学ぶべきだ、という主張には共感する。

以上のようなわけで、竹内さんのこの本、素晴らしい本だが、「科学はもともと哲学だった」という部分には大いに異論があるのだった。

__________
(注1) 以前の記事『Ph.D. (ピーエイチディー)』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/phd-7324.html

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書) Book 99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

著者:竹内 薫
販売元:光文社
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2009年6月 5日 (金)

「ハウス」があるのに「ホーム」がない…「ホームレス」。それが問題だ。

先週土曜に日本橋・丸善で買った、『出家の覚悟』を読んでいる。この本は面白い。原始仏教の長老アルボムッレ・スマナサーラさんと、禅僧の南直哉さんとの対談だ。

アルボムッレ・スマナサーラさんは、これまでにも養老孟司、立松和平、玄侑宗久、山折哲雄、鈴木秀子といった方々と対談して、それが本になっているが、対談の中ではこの『出家の覚悟』が一番面白いかもしれない。

3分の2ほど読んで印象に残った一節(p.181-182)。スマナサーラさんは、現在の日本の社会の問題の一つは、「ハウス」(物理的に寝るところ)はあるが「ホーム」がないこと、という。

「ホーム」とは、「『友だちになぐられた』『今日はやられちゃった』『あいつは嫌だ』などと、とりとめもなく話をして落ち着く」ところ(同書p.181より)。

「第三者のお坊さんでもいいから、誰かがホームになってあげると、結構人は落ち着くのです。大したことはしなくていい。」(同書p.182より)

「ハウス」はあるけど「ホーム」がない。「ホームレス」状態。

どんな立派な「ハウス」を所有していても、「ホーム」がなければ「ホームレス」なわけだ。

「ハウス」は慎ましいもので十分。「ホーム」を持つべし。

出家の覚悟―日本を救う仏教からのアプローチ Book 出家の覚悟―日本を救う仏教からのアプローチ

著者:南 直哉,アルボムッレスマナサーラ
販売元:サンガ
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2009年5月17日 (日)

Perfumeは各国からの留学生にも大人気らしい - Perfumeは日本経済再生のモデルなのだ

今日、『世界経済はこう変わる』(光文社新書、神谷秀樹・小幡績、2009年5月)という本を買った。

まだ読み始めてもいないが、パラパラとページをめくっていて、注目すべき記述を見つけた。著者の一人の小幡さんが、Perfumeについて論じているのだ(「PART 4 再生はどこからもたらされるか - カリスマやブランドではない、新しい価値を目指せ」、pp.156-159)。

小幡さんは慶應義塾大学ビジネススクールの准教授。アメリカなど世界中のビジネススクールから、交換留学で学生が来ているそう。

その小幡先生のクラスで、先日、「アジアのポップミュージックが世界市場で成功するにはどうすればいいか」というテーマでディスカッションをした。すると、日本のポップミュージックに関する留学生達の意見はこうだったそうだ。

「宇多田も浜崎も安室も、みんなまあまあいいけど、パフュームというグループはオリジナリティもあるし、断然いい」(p.157)。

小幡先生の見解はこうだ。

「広島時代から応援している人も、ヒット曲が出てからのファンも、みんなパフュームは自分たちが支えている、という感覚なんです。みんな仲間で。これがおもしろい。カリスマにひれ伏しているわけではないから、少し売上が落ちても、また盛り返すはずです。」「苦境だったら、ますます応援しないといけない。本当は投資先でも、融資先でも、パフュームとファンの関係みたいだったら美しいと思うんですが。」(p.159)

つまり小幡先生は、Perfumeを日本経済再生のモデルと捉えているのだ。小幡先生も実は相当のPerfumeファンと見た。

私は、小幡先生が昨年出版された『すべての経済はバブルに通じる』(光文社新書、2008)という本も買って読んだ。この本はとても役に立つ。Perfumeファンは、『世界経済はこう変わる』に加えて買って読んでみるといい。

なお私は、Perfumeはわざわざ「海外進出」する必要などないと思う。なぜならもう既に、ネットを通じて世界中に多数のファンが自然発生しているからだ。

妙な売り込みで不自然に「全米進出」「アジア進出」などしようとしてもうまくいかないだろうし、その必要もないと思う。そもそもこのグローバルな時代、「世界進出」などという発想自体が不自然で古臭い。世界的に通用するものは、ネットを通じて自然と世界中の人達から注目されるのだ。

世界経済はこう変わる (光文社新書 402) Book 世界経済はこう変わる (光文社新書 402)

著者:小幡績,神谷秀樹
販売元:光文社
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すべての経済はバブルに通じる (光文社新書 363) Book すべての経済はバブルに通じる (光文社新書 363)

著者:小幡績
販売元:光文社
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2009年4月30日 (木)

『仕事でいちばん大切なこと』

アルボムッレ・スマナサーラさんの新刊『仕事でいちばん大切なこと』(マガジンハウス刊)を読んだ。

仕事でいちばん大切なこと Book 仕事でいちばん大切なこと

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:マガジンハウス
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スマナサーラさんは、1980年にスリランカから来日にした原始仏教(初期仏教、テーラワーダ仏教)の長老。私はスマナサーラさんの数々の著作をとても愛読している。この本では、「仕事」にまつわる様々な悩みを、スマナサーラさんがスパッスパッと解決していく。

これまでにもスマナサーラさんは、『ブッダの智慧で答えます-生き方編』、『悩まない力』などの、一問一答形式の悩み相談の本を出されている。そんな中で、本書の特徴は「仕事」にまつわる悩みに焦点を当てているところだ。

「仕事」にまつわる悩みとは、例えば、

  • 会社の先輩や上司と接するとき、気をつけるべきことは何でしょう?(p.24)、
  • 仕事に目的意識が持てません。わたしたちが働くのは何のためですか?(p.112)
  • いい企画がなかなか思いつきません。企画を考える方法ってあるでしょうか?(p.138)
  • 今やっているのが「本当の仕事」と思えません。自分探しの旅に出たいのですが……。(p.146)
  • グローバリゼーションにどのように対応すればいいのでしょうか。(p.150)
  • 環境破壊が問題になっています。エコビジネスが必要なのでしょうか?(p.154)

など。

それに対して、一見意表を衝いたような、シンプルで根本的な回答が返されていく。そして、悩みは必ず解決されるのだ。

この本は是非多くの人にお薦めしたい。できれば、『仏教は心の科学』を先に読むことをお薦めしたい。そうすると、スマナサーラさんの回答の意図がもっとよく理解できるだろう。

仏教は心の科学  (宝島社文庫) Book 仏教は心の科学 (宝島社文庫)

著者:アルボムッレ・スマナサーラ
販売元:宝島社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

スマナサーラさんがこれまでの著作の中で何度も言っておられるように、「仏教」は本来、宗教ではない。心を清く正しく、強く優しくするための方法論を教えるものであり、「心の科学」なのだ。

だから、ズブズブに理系の人にもお薦めなのだ。

なにしろ、理系の人達の悩みのほぼすべては、科学上の問題から生ずるものではない。人間、組織、社会との関係の中で生じる心の問題なのだ。

悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS) Book 悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS)

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:主婦と生活社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ブッダの智慧で答えます 生き方編 Book ブッダの智慧で答えます 生き方編

著者:アルボムッレ・スマナサーラ
販売元:創元社
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2009年4月29日 (水)

『本当は恐ろしい江戸時代』の著者はとにかく怒っている。 誰に? ひょっとして戦国ギャルに?

『本当は恐ろしい江戸時代』を買って読んだ。

本当は恐ろしい江戸時代 (ソフトバンク新書) Book 本当は恐ろしい江戸時代 (ソフトバンク新書)

著者:八幡 和郎
販売元:ソフトバンククリエイティブ
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著者(八幡和郎氏)の主張は、すべて「おわりに」(pp.233-236)で簡潔に述べられている。だから、著者の主張を知りたいだけなら、この4ページさえ読めばよい。その主張とはこうだ:

「江戸時代を肯定的に評価し」「明治になって失ったものが大きい」とする「江戸時代礼賛論」は誤り。「江戸時代」は「現代の北朝鮮」のようなもの。「江戸時代礼賛論者」は「ピョンヤンにでも行って暮らせばいい」。「明治維新と文明開化で人々が劇的に幸福になった」。「江戸時代から明治になってどんなに世の中がよくなったか」。(括弧内は著者の文章からの引用)

この本の面白いところは、それだけのことを主張するために、江戸時代の暗黒面の雑学知識を200ページ以上にわたって延々と列挙していることだろう。章のタイトルを列記すると:

第1章 餓死者が続出し、はげ山だらけ
第2章 サドマゾ趣味のでたらめ刑罰
第3章 自由も民権もなかった暗黒の日々
第4章 旅は自由でなく、しかも歩くしかなかった
第5章 食生活も財政も米のみが頼り
第6章 教育水準が高かったというのはウソ
第7章 地方は「江戸藩」の植民地
第8章 「鎖国」したので植民地にされそうになった日本
第9章 働くのは嫌いで賄賂が大好きなのが武士

「檀家制度で牙を抜かれて葬式仏教に」、「武士道は騎士道に似せて明治になって偽造されたもの」など、なかなか面白い雑学も含まれている。

「自給自足とか地産地消というのは、消費者無視の生産者の論理」というような、ズブズブに理系の私でも理解できる主張もところどころにある。

一方で、「江戸時代にバカ殿が多かったのは側室の子が多かったから」といった珍説・珍解釈もしっかり散りばめられている。

江戸の暗黒面の雑学知識を得たい人にはいい本かも。。

。。。。。。

しかしそれにしても、なぜそこまで江戸を罵倒して明治を持ち上げたいのだろう?

「江戸時代礼賛論者」という人達を、私の周囲では見かけたことがない。ひょっとして最近増殖中の「戦国ギャル」のことか? いや、違うようだ。著者は、信長や秀吉は好きみたいなのだ。

では、著者は余程特殊な人々に囲まれてイジメられているのだろうか? とにかく全編にわたって、江戸時代への強烈な怒りと憎しみの感情がにじみ出ているのだ。ドン引きするほどだ。まるで、「江戸時代は、テレビもネットもクルマもないから悲惨な時代だ」、とでも言い出さんばかりの勢いなのだ。

どうやら著者の本音は、暗黒雑学の合間合間にちらちらと顔をのぞかせているようだ。「地方分権論」への批判。中央集権の強い官僚主導政治の必要性。郵政民営化反対。道路公団民営化反対。。。 東大法学部卒、通産官僚出身、という経歴とマッチし過ぎていて笑える。

だからそこまで江戸をこき下ろして明治を持ち上げたいわけだ。

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2009年4月26日 (日)

『ウェブはバカと暇人のもの』は結構楽しめた - WWBW(World Wide Baka Web)誕生?

『ウェブはバカと暇人のもの - 現場からのネット敗北宣言』(光文社新書)を買って読んだ。

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書) Book ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

著者:中川淳一郎
販売元:光文社
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なかなか面白かった。何が面白かったかというと、特に前半部で多く紹介されていた「バカ」と「暇人」の実例だ。

これだけ普及したインターネットの世界に、「バカ」と「暇人」が跳梁跋扈し始めるのは当然のことだ。しかし、インターネット上に跋扈する「バカ」と「暇人」の実例を、博物学的・体系的に観察・収集して紹介した本は、まだあまりないのではないか。私としては、「トンでも科学本」のような感じの、「ネット上の『バカ』と『暇人』の博物誌」的な本が出れば、是非買って読んで楽しみたい。

著者の中川氏は、元博報堂社員で、今はネットを使った広告で儲けることを生業にしている。だからこの本の主張は、「ネット広告で儲けようと思っても、そんなにうまくいかないよ」ということだ。

また、「Web2.0」(=「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」(同書p.14に引用された梅田望夫著『ウェブ進化論』(ちくま新書)からの引用)というのは、結局、不特定多数の匿名の「バカ」と「暇人」が烏合して罵詈雑言を垂れ流して炎上するだけの、ショボイものだよ、ということだ。

暇を持て余したバカが、公衆便所の壁に昔よくあったような(今もある?)落書きを、安全な場所から気軽に全世界に向けて発信し始めたのだ。面と向かっては言えないようなおぞましいことでも次々と気軽に垂れ流し始めた。まさに、World Wide なバカの Web だ。

インターネットの普及により、「バカ」と「暇人」が、人間の心の醜い部分、愚かな部分を気軽に増幅させながら知らず知らずのうちに全世界に向けて発信する。それが「Web2.0」の実態、というわけだ。

本書の帯が、この本の主張を要約している。曰く、「どいつもこいつもミクシィ、ブログ。インターネットは普及しすぎた。『頭の良い人』の話はもういい。『普通の人』『バカ』の話をしようじゃないか」。

しかしもちろん、ウェブもネットも、「バカ」と「暇人」のものではない。著者の中川さんは、ウェブの広告、特に不特定多数からの匿名のフィードバック(書き込み)を許すようなサイトを使って儲けようとしたから、その惨状に幻滅しているだけだ。

敗北したのは「ネット」ではない。ネット広告でまんまと儲けようとした広告業界の人達、つまり、ズブズブに理系の者からすれば、どんなお仕事をしてなぜお金を儲けられるのかが想像できないような人達なのだ。

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2009年4月18日 (土)

若者よ、3年で辞めよう!

『若者はなぜ3年で辞めるのか?』を、半分ちょっとまで読んだ。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書) Book 若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

著者:城 繁幸
販売元:光文社
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この本に書かれていることは、オッサン(40代半ば)である私の経験からしても、正しい。

今の若者は、団塊世代の豊かな暮らしを支えるために、過酷な就職難と劣悪な労働条件に甘んじているのだ。

「格差社会」における真の格差は、団塊世代以上の高齢者層と、40代以下、特に30代前半以下の若者との間に存在している。

団塊世代以上の高齢者層の中には、収入も資産もなく貧しい人も確かに存在する。しかしそれは少数派なのだ。

多くのお年寄り(もうすぐ年金をもらい始める団塊世代を含む)は、豊かな暮らしを死ぬまで続けるのに十分な資産(持ち家、貯金)を既に持っている。

その上さらに、満額でもらい続けている年金を「まさか」の時のために貯金し続けるのだ。「まさか」とは、例えば、空から隕石が落ちてきて家が壊れたとかいうような場合だ。

その「まさか」のための年金は、今のまま行けば決して年金などスズメの涙ももらえることのない現役世代が払っているのだ。

お年寄りはいたわらねばならない。しかし、お年寄りに一律に割引サービス(市バスの乗車賃を無料にするとか)をする理由は、実はまったくないのだ。

若者世代から年寄り世代への搾取が起こっている。もはや、「団塊以上=ブルジョワジー」、「40代以下特に20代=プロレタリアート」で、年寄りと若者の間で階級闘争が起こっても不思議ではない。

若者にまだ希望はある。

万一正社員になったら、3年で会社を辞める。それを繰り返そう。終身雇用制、年功序列制を一掃するのだ。

選挙に行こう。少子化の上に若者の投票率が低ければ、政治は、人数が多く投票率も高い団塊年寄り世代に都合のいいことばかりし続ける。

選挙に出よう。選挙に出れる年齢になったら、議員に立候補しよう。大挙して立候補しまくろう。すぐに当選でなくてもいい。もともと、失うものはほとんどないのだ。

こうやって日本社会のルールを変えていけば、収奪された富は若者に戻ってき始めるだろう。ついでに景気もよくなるだろう。

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2009年4月17日 (金)

年寄りはなぜ3年で辞めないのか?

今日から、『若者はなぜ3年で辞めるのか?』を読み始めた。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書) Book 若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

著者:城 繁幸
販売元:光文社
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同様に問題とすべきは、「年寄りはなぜ(あと)3年で辞めないのか?」、ということだ。

4年後の2013年までに、年金支給開始年齢が60歳から65歳へと引き上げられる。それに合わせて、2013年までに、企業は定年を60歳から65歳へと引き上げなければならない。

簡単に言うと、団塊の世代の人達が60歳で定年後、5年間も年金がもらえないと困るだろうから、その間も同じ会社で継続して雇用され給料をもらえるようにしたのだ。これは法的な義務だ。

なぜこれが実現できるかというと、40歳代以下、特に30代前半以下の若い人達に過酷な就職難と低賃金・不安定雇用を押し付けているからだ。

終身雇用・年功序列の既得権を持った高給取りの団塊正社員の賃金を下げたり、辞めてもらったりできない以上、新しく正社員を雇うのを控えるほかないわけだ。若者の就職難はさらに続くのだ。

こういったことを決めて実行している中心的存在は、他ならぬ団塊の世代自身だ。団塊の世代が豊かなままで「逃げ切る」ために、若者世代はとんでもなく不公平な境遇に甘んじている状態だ。

「最近の若者は3年もせずにすぐ辞めて、忍耐力がない」と年寄り(団塊世代)は言う。

しかし、これだけの不公平の中で暴動も起こさずにいる若者の忍耐力は、団塊世代よりずっと高いと言わざるを得ない。

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2009年4月15日 (水)

上司が鬼になると確かに部下は動く、つまり辞める

「上司が鬼とならねば部下は動かず」。

上司が「鬼」とならねば部下は動かず―強い上司、強い部下を作る、31の黄金律 Book 上司が「鬼」とならねば部下は動かず―強い上司、強い部下を作る、31の黄金律

著者:染谷 和巳
販売元:プレジデント社
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これは、団塊の終身雇用年功序列パワハラ世代の代表的価値観だ。

「鬼となる」。つまり、恐怖感によって部下を動かそうとするわけだ。

何の「恐怖」か?

クビになる恐怖だ。終身雇用を前提とする限り、クビをちらつかせることは最大の嫌がらせ(ハラスメント)となったのだ。「上司が鬼となれば部下はよく働く」という素朴なマネジメント法は、終身雇用あってこそ成り立つものだ。

会社はいわば江戸時代の「藩」みたいなもので、社員は「家臣」「家来」「下級武士」。藩を追い出されたら、極貧の「浪人」暮らしが待っており、次に「仕官」できる確率はとてつもなく低い。

しかし今や、「終身雇用」は実体のないものとなってしまった。

年功序列の右肩上がり賃金、高額な退職金、退職後は満額の年金。これらすべてを確保するや、鬼の団塊世代は、過酷な雇用体系を若い世代に押し付け始めたのだ。

若者と会社の関係は、否応なくドライなものとなった。よく言えば、「必殺仕事人」と「依頼人」のような関係、と言えなくもない。

そんな若者に、終身雇用時代の特異なマネジメント法を適用しようとしたら、「では、さようなら」と辞めてしまうのが当然だろう。団塊世代のワリを食って低賃金・悪条件で働いているのに、わざわざ「鬼」に付き合う意味がわからない。

だから若者は3年もたたずに辞めるのだ。

と、『若者はなぜ3年で辞めるのか?』には書いてあるに違いない。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書) Book 若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

著者:城 繁幸
販売元:光文社
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昨日とうとうこの本を買ってしまった。早速何が書いてあるか確かめてみよう。著者はまだ若い人だ(私より)。

かのアルボムッレ・スマナサーラさんは、『悩まない力』の中で次のように言っておられる。

(日本では)「新入社員には、決まってストレスや強い緊張感を植え付けます。ストレスが入り込むと、心はすっかり固まって、柔軟な動きを失ってしまいます。それこそ、能力低下の原因です。」「日本の社会は、全体としてのマネージメントは最悪でしょう。」
(p.44、『ストレスが能力低下の原因、経営者は考え直せ』より引用)

悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS) Book 悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS)

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:主婦と生活社
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2009年4月14日 (火)

若者はなぜ1年足らずで辞めるのか?

『若者はなぜ3年で辞めるのか?』という本が以前本屋で目に付いたので、いつか読んでみようと思っていたのだが…。まだ読んでいない。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書) Book 若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

著者:城 繁幸
販売元:光文社
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最近は「3年3割」と言われているらしく、新卒新入社員の3割が3年で辞めるらしい。実際のところ、もっと短期間で辞める人も多いはずだ。だから採用する側は、1つの会社に3年以上勤めた経験のある応募者にはそれだけで漠然と信頼感を抱いてしまうくらいなのだ。

転職を繰り返す理由は様々だろう。一つの会社に長くいる方がいいと一概には言えないし、すぐに辞めてしまうのがいいとも言えない。

しかし、短期間で会社を辞めて転職しようとする人がよく口にする転職理由は(少なくとも表向きの理由は)、「もっとやりがいのある仕事をしたい」、「自分の夢を実現させたい」、「やりたいことに挑戦してみたい」、といった系統のものだ。

本当にそんなふうに思っている場合は、よくよく考え直してみた方がいいと思う。

どれも自分の欲求を満たすことを主張しているに過ぎない。自分の欲求・願望を満たしてくれるために給料を払ってくれる会社は存在しないと思ったほうが科学的だ。

とにかく、そんな風にリキんで転職しようとしている人には、私が愛読するアルボムッレ・スマナサーラさんの本を薦めたい。

先日も紹介した『悩まない力』からの一節。

「仕事は、生きるため、家賃を払うためにやるものです。大げさなことではありません。」「そういう程度で、人生を楽しめばいいのです。」(p.42)

悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS) Book 悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS)

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:主婦と生活社
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また、別の著書『ブッダの智慧で答えます-生き方編』からの一節。

「『一人ひとりが社会の歯車だ』とさえ言えるものではない。一人の人生は、せいぜい水道の蛇口のネジを締めるとき、その中に挟むゴムパッキンくらいのものです。」「若者が進路を決める時は、『そんな大胆なことをしなくてもいい。自分に出来る、小さな微々たることで充分だ』という気持ちで決めた方がいいのではないでしょうか。」(p.24)

ブッダの智慧で答えます 生き方編 Book ブッダの智慧で答えます 生き方編

著者:アルボムッレ・スマナサーラ
販売元:創元社
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2009年4月 6日 (月)

団塊のパワハラ世代 (2)

団塊の世代の特徴は、戦後のいわゆる「終身雇用制」と「年功序列制」の担い手であったということだろう。

一旦入社した会社からは、余程のことがないと解雇されなかった。入社する側も定年まで社員でいるつもりだから、相当ひどい仕打ちを受けてもひたすら耐えた。

また、特定の組織の人間としての経験は、その組織に長く在籍すればするほど多くなるわけだから、当然「年功序列」で「偉く」なる。

このため、上司から部下への、今で言う「パワハラ」は、当たり前のことだったわけだ。「終身雇用」を想定して生活している者に対して「クビ」をチラつかせることは、最高の嫌がらせであり、自分に従わせるための最も手軽な方法となったのだ。

団塊の世代の一部に、「脱サラ」、「独立」が流行ったのは、このような背景があったのだろう。監獄から解放されるような気分だったに違いない。

現在、年を取って経営者層に登り詰めた団塊の終身年功パワハラ世代は、若い世代に対する新しいイジメを開発した。自分達が定年まで逃げ切れるのが確実になるや、「終身雇用」から「非正規雇用」へ、「年功制」から「『成果』主義」へとルールを変え始めたのだ。

その良し悪しは別として、年金も含め、若い世代は相当にワリを食っているはずだ。

(続)
『団塊のパワハラ世代 (3)』
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-a2f9.html
『団塊のパワハラ世代 (1)』
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-1eaf.html

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2009年4月 3日 (金)

『悩まない力』

しばらく前から、書店に行くと『悩む力』というタイトルの新書が大々的に陳列されて目に付いていた。

中身はしっかり読んでいないものの(またタイトルと中身はあまり関係ないかもしれないものの)、このタイトル自体には少々違和感を感じていた。

素直に考えて、我々に必要なのは『悩む力』ではない。『悩まない力』だ。

そう思う人にお薦めなのが次の本:

悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS) Book 悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS)

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:主婦と生活社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

著者のアルボムッレ・スマナサーラさんは、スリランカの原始仏教(テーラワーダ仏教)の長老。1980年に来日されたというから、今の日本の大学生の大部分よりも日本に長く住んでいるわけだ。

原始仏教とは、ブッダ(ゴータマ・シッダッタ)その人が見出した真理そのものを、宗教的・神話的な脚色抜きに忠実に実践しようとするもの。

スマナサーラさんが他の著作でも述べているように、本来、仏教(ブッダの教え)は「宗教」ではない。とことん合理的な、「心の科学」だ。このため、ズブズブに理系な人でも受け容れやすいと思う。

本書の内容は。。。

「誰もが共通して抱える身近な悩みを、一問一答形式で構成」、「ほんのわずかに見方を変えてみれば、人生に起こる『さまざまな悩み』を解決する『力』が簡単に身に付くのです。その『力』は、すでに自分の心にあるのです。」(同書「はじめに」より)。

「悩み」の例を少しだけ。。

「他人の視線が気になる」「理想と違う自分が嫌い」「個性を生かせる仕事がない」「安定した仕事と夢、どちらを選ぶ?」「同性しか好きになれない」「成人した子どもが働かない」「労働に見合った報酬が得られない」「前向きな気持ちになれない」「死ぬのが怖い」「コロリと死にたい」「死後の世界はある?」「安らかに死ぬには」等々。。。

これらの「悩み」に対して、一見意表を衝いたような、しかしとことん合理的な答えが、飄々と返されていく。そして「悩み」は必ず、明確に解決されていく。

理系的に考えれば、そもそも「悩み」など存在し得ないということだ。

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2009年3月29日 (日)

団塊のパワハラ世代 (1)

昨年夏の北京オリンピックで、いわゆる「団塊の世代」の星野仙一監督率いる日本代表は優勝しなかった。先日のWBCで、「ポスト団塊世代」の原辰徳監督率いる日本代表は優勝した。

昨日本屋で、『社長は「鬼」の目で人を見抜きなさい』という本が目についたので、ちょっと立ち読みしてみた。この本の著者の前著『上司が「鬼」とならねば部下は動かず』という本も、10年近く前に買って読んだことがあった。著者はプレ団塊世代、まあほぼ団塊世代と言っていいだろう。

上司が「鬼」とならねば部下は動かず―強い上司、強い部下を作る、31の黄金律 Book 上司が「鬼」とならねば部下は動かず―強い上司、強い部下を作る、31の黄金律

著者:染谷 和巳
販売元:プレジデント社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これらの本に書かれてあるのは、戦中(軍国主義教育)世代から団塊世代までに特有の人事・組織・仕事観に基づくものだ。

わかりやすく言うと、上司を戦国武将や軍隊指揮官になぞらえて、歴史小説で展開される戦国武将や軍隊指揮官の行動を現代の会社員生活で実践することを薦める、ような感じのものだ。感傷的なのだ。

人生が開ける戦国武将の言葉 ビジネスの現場で活きる、戦う者の知恵 上司として、部下指導の心得、組織を束ねる者の才覚… [本] 人生が開ける戦国武将の言葉 ビジネスの現場で活きる、戦う者の知恵 上司として、部下指導の心得、組織を束ねる者の才覚… [本]
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ただし、今の時代にそういったことを真に受けて実践すると、ヒドイ目に遭う。「パワハラ」で自滅する。

「共通一次世代」の私は以前、「『○○世代』という妄想を根拠に展開される議論は、粗雑なものと決まっている」と書いた。
(参考: http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e932.html

しかし、戦中世代から団塊世代に限り、妄想ではなく、強烈に特異な時代背景と人口構成の顕著な偏りという現実が根拠にあり、世代を論じることに一定の意義はあると思う。そこで、以下であえてこれらの世代、特に団塊世代について論じたい。

(続)
『団塊のパワハラ世代 (2)』
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-bb04.html

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2009年3月23日 (月)

採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (3) 東大神話編

就活を行なう側が、「敵情視察」に好適な本として、

新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書) Book 新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書)

著者:樋口弘和
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を前々回、前回と紹介してきた。

ズブズブに理系の立場から、本書の内容に関して質問したいことがもう一つある。

著者の持論の一つは、

「一部の一流企業をのぞく普通の会社は『東大卒は採用するな』」

らしい。おそらく、「ハーバード大、ケンブリッジ大卒は、書類段階で落とせ」も持論の一つだろう。

「東大だけを取り上げたのはもちろんシンボルとしてであって、他の一流大学も同様なことはいうまでもありません」とのことだが。

で、一流大学卒を採用してはいけない根拠は、

「一般的な企業に来る一流大学卒は、受験勉強だけのスペシャリストが多い傾向にあります」
「こうした人材を能力面で見ていくと、自立性や社会性の欠如ということになります」
「一流大学の学生が、受験してくることそのものを疑ってかからなければいけない」
「実際に『訳あり』のケースが多い」

とのことだ。

これは都市伝説ではないのか? 人材採用を都市伝説に基づいて行なっていいのだろうか。

私の観察では、「受験勉強だけのスペシャリスト」は、どの大学にも大体同程度に分布している。実際にどれだけ試験で点数をとれるかは別問題だ。

自立性や社会性が欠如した人の分布も同様。「訳あり」の分布も同様。

「東大卒」でそういうタイプの人達は、東大卒ということで目立つため矢面に立っているだけなのだ。

一方で著者は、「応募から採用まで、学歴を伏せたまま、という学歴不問の勇気ある試みをしている企業もあります。とても良いことだと思います」とも述べている。

ついでに、性別、年齢、容姿、風貌も伏せたままにするのはどうか。互いが見えないように仕切った上で、ボイスフィルターを通して面接するとか。

結局、人間同士が顔を突き合わせて一緒に働く職場に迎える人を、学歴も含めて個性に関する情報抜きに「客観的」に判定するのは無理だろう。

(参考)
『採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (1)』
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-cc01.html

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2009年3月22日 (日)

採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (2) 第二種過誤編

就活を行なう側が、「敵情視察」に好適な本として、

新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書) Book 新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書)

著者:樋口弘和
販売元:光文社
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を前回紹介した。

ただ、ズブズブに理系の立場から、本書の内容に関していくつか質問したいことがある。

まず、「面接の成功率」という言葉が本書には出てくる。著者御自身は、「ここ数年95%ほどの成功率で安定しています」とアピールしておられる。それが商売だから当然のアピールだろう。

では、「面接の成功率」はどうやって計算しているのか?

採用した人材のうち、期待に適った働きをしている者の比率のことだろうか? (何をもって「期待に適った」と判定するかは気にせずにおこう。)

もしそうなら、理系的にはその計算法に疑問が残る。

面接で落とした人を、仮に採用していたとしよう。その人が、実際に採用して期待に適った働きをしている人のうちの誰かよりもいい働きをできたなら、その面接は「失敗」とすべきではないか。

もちろん、面接で落とした人の働きは評価できない。したがって、面接の成功率は計算不能なのではないか。

つまり本書中の「面接の成功率」は、擬陽性(false positive)には着目しているが、擬陰性(false negative)は無視している。第一種過誤は気にするが、第二種過誤は無視、と言ってもいい。

もう一つ質問がある。

(続)
『採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (3) 東大神話編』
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-0b96.html

『採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (1)』
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-cc01.html

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2009年3月21日 (土)

採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (1)

シューカツ。

シュークリームのカツか? と、トンカツ好きの私はこの言葉を初めて聞いた時思った。この略語が広まったのは割と最近のことだろう。

「就職活動」をわざわざ(?)「就活」と略すほどに、学生生活に占める就職活動の比重がここ10年で大きく高まったということだろう。今や修士課程の学生は、1年生の秋から2年生の夏まで就活に専念しなければならない有様で、マル合教員の頭痛の種となっている。

できるだけ効果的に就活を進めるには、「敵を知る」ことが大切だ。「敵」とは、採用側企業の採用人事担当者のことだ。

そんな敵情を知る上で、次の本は役立つだろう:

新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書) Book 新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書)

著者:樋口弘和
販売元:光文社
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著者は、樋口弘和氏。

著者紹介によると、1958年東京生まれ、早大卒業後、横河ヒューレット・パッカード入社、1998年に人事・採用のアウトソーシングとコンサルティングを手掛ける株式会社トライアンフを設立、で、そこの社長をしておられる。

大企業の人事一筋という、ズブズブに理系な者からは想像を絶する人生経験を積んでこられた方だ。

採用される側としては、企業との「マッチング」の重要性、「やりたい仕事」でなく「向いている仕事」を見極める「自己認識力」の重要性。

採用する側としては、「印象面接」ではなく応募者の過去の実績に基づいた客観的評価の重要性、「雑談面接」の重要性。

など、いろいろと参考になることが書き綴られている。

(続)
『採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (2) 第二種過誤編』
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-fe77.html

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