カテゴリー「理系的人生論」の18件の記事

2009年10月24日 (土)

読書百万遍 (9) 気楽にいこう。どうせ間違うんだから。それが「理系」的態度だ。

本サイトのタイトルは、『ズブズブに理系でいこう!』。

これはもちろん、一種のジョークだ。「理系と文系」という区別の無意味さ、世の中に流布する「理系」への偏見。そういったものに対する居直りを、理系出身者の立場から表明しているのだ。

そしていっそのこと、生き方そのものまでズブズブに「理系」を貫き通してはどうか、と思った。そのために、「理系」の意味を独自に次のように定義したのだ:

「理系」。それは清く正しく理詰めで生きる道。。

これが本サイトのサブタイトルだ。もちろん、どこかで聞いたような文句のパロディーだ。

こんなことを思いついたのは、何年か前からアルボムッレ・スマナサーラさんの本を愛読していたからだろう。

スマナサーラさんのことは、本サイトでも時々紹介している(注1)。スリランカ出身で、日本に30年近く在住している「初期仏教」(原始仏教、テーラワーダ仏教)の長老さんだ。「初期仏教」とは、釈迦が直接説いた教え、仏教(ブッダの教え)がまだ宗教化していなかった頃の教えを伝えるものだ。

私は、そんなスマナサーラさんの本を読んでいて、スマナサーラさんが「ズブズブな理系魂」の持ち主であることに気付いたのだ。

そんなスマナサーラさんに、また一発気合いを入れてもらおう。

スマナサーラさんの著作『無常の見方』(注2)から。

(以下、同書p.74より引用)
人間は、問題を解決できないのです。間違うばかりです。仏教からいえば、「どうせ間違うのだから、さっさと結論を出せばいい」ということになります。

日本では憲法改正の議論に二十五年もかけている。どうせ間違うのだから、二ヵ月か三ヵ月で結論を出せばいいのです。間違っていたらまた変えればいいでしょう。どうせ間違うのだから、早くやればいいのです。

(以上、同書より引用)

これくらい気楽に生きる方がいいのじゃ。
__________
(注)

  1. 例えば、2009年4月3日記事 『悩まない力』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-005f.html
  2. アルボムッレ・スマナサーラ著、『無常の見方』(サンガ新書、2009年8月刊)。これは、サンガ刊「お釈迦さまが教えたこと」シリーズ第1巻『無常の見方』(単行本、2006年3月刊)を新書化したものだ。私は、この単行本の方を読んでいたが、新書の方も読んだ。内容は同じ。単行本は横書、新書版は縦書、というのが違いか。
無常の見方―「聖なる真理」と「私」の幸福 (サンガ新書) Book 無常の見方―「聖なる真理」と「私」の幸福 (サンガ新書)

著者:アルボムッレ・スマナサーラ
販売元:サンガ
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無常の見方 「聖なる真理」と「私」の幸福    お釈迦さまが教えたこと1 Book 無常の見方 「聖なる真理」と「私」の幸福    お釈迦さまが教えたこと1

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:サンガ
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2009年6月10日 (水)

人間の本業

会社の仕事で悩んでいる人は多い。上司のパワハラ、クビ・倒産の不安・・・。鬱状態になる人もいる。

そんな時は、こう考えよう。人間の生きる目的、つまり本業(ほんぎょう)は、心を磨くこと、未完成で未熟な人格を完成させること。会社の仕事なんかは一時的な仕事。副業だ。上司に怒られても、「会社にいるときだけだから大したことない」という感じで受け流せばいい。うまくいかなくてもうまくいっても、そんなものは副業であって本業ではない、とクールに生きる。。。

先日買ったアルボムッレ・スマナサーラさんの本、『初期仏教経典解説シリーズⅠ 沙門果経』の中に、そのように書かれてあった(pp.129-131)。

人間の本業は心を磨くこと。それに納得すれば、会社の仕事で悩んだり落ち込んだりすることもなくなるかもしれない。

スマナサーラさんが繰り返し述べているように、本来「仏教(ブッダの教え)」は「宗教」ではなく「心の科学」だ。信じるのではなく、理解して納得する世界だ。最古層の経典『沙門果経』は、そういうブッダその人の教えを記録している。

沙門果経―仏道を歩む人は瞬時に幸福になる (初期仏教経典解説シリーズ) Book 沙門果経―仏道を歩む人は瞬時に幸福になる (初期仏教経典解説シリーズ)

著者:アルボムッレ・スマナサーラ
販売元:サンガ
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2009年4月30日 (木)

『仕事でいちばん大切なこと』

アルボムッレ・スマナサーラさんの新刊『仕事でいちばん大切なこと』(マガジンハウス刊)を読んだ。

仕事でいちばん大切なこと Book 仕事でいちばん大切なこと

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:マガジンハウス
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スマナサーラさんは、1980年にスリランカから来日にした原始仏教(初期仏教、テーラワーダ仏教)の長老。私はスマナサーラさんの数々の著作をとても愛読している。この本では、「仕事」にまつわる様々な悩みを、スマナサーラさんがスパッスパッと解決していく。

これまでにもスマナサーラさんは、『ブッダの智慧で答えます-生き方編』、『悩まない力』などの、一問一答形式の悩み相談の本を出されている。そんな中で、本書の特徴は「仕事」にまつわる悩みに焦点を当てているところだ。

「仕事」にまつわる悩みとは、例えば、

  • 会社の先輩や上司と接するとき、気をつけるべきことは何でしょう?(p.24)、
  • 仕事に目的意識が持てません。わたしたちが働くのは何のためですか?(p.112)
  • いい企画がなかなか思いつきません。企画を考える方法ってあるでしょうか?(p.138)
  • 今やっているのが「本当の仕事」と思えません。自分探しの旅に出たいのですが……。(p.146)
  • グローバリゼーションにどのように対応すればいいのでしょうか。(p.150)
  • 環境破壊が問題になっています。エコビジネスが必要なのでしょうか?(p.154)

など。

それに対して、一見意表を衝いたような、シンプルで根本的な回答が返されていく。そして、悩みは必ず解決されるのだ。

この本は是非多くの人にお薦めしたい。できれば、『仏教は心の科学』を先に読むことをお薦めしたい。そうすると、スマナサーラさんの回答の意図がもっとよく理解できるだろう。

仏教は心の科学  (宝島社文庫) Book 仏教は心の科学 (宝島社文庫)

著者:アルボムッレ・スマナサーラ
販売元:宝島社
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スマナサーラさんがこれまでの著作の中で何度も言っておられるように、「仏教」は本来、宗教ではない。心を清く正しく、強く優しくするための方法論を教えるものであり、「心の科学」なのだ。

だから、ズブズブに理系の人にもお薦めなのだ。

なにしろ、理系の人達の悩みのほぼすべては、科学上の問題から生ずるものではない。人間、組織、社会との関係の中で生じる心の問題なのだ。

悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS) Book 悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS)

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:主婦と生活社
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ブッダの智慧で答えます 生き方編 Book ブッダの智慧で答えます 生き方編

著者:アルボムッレ・スマナサーラ
販売元:創元社
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2009年4月18日 (土)

若者よ、3年で辞めよう!

『若者はなぜ3年で辞めるのか?』を、半分ちょっとまで読んだ。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書) Book 若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

著者:城 繁幸
販売元:光文社
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この本に書かれていることは、オッサン(40代半ば)である私の経験からしても、正しい。

今の若者は、団塊世代の豊かな暮らしを支えるために、過酷な就職難と劣悪な労働条件に甘んじているのだ。

「格差社会」における真の格差は、団塊世代以上の高齢者層と、40代以下、特に30代前半以下の若者との間に存在している。

団塊世代以上の高齢者層の中には、収入も資産もなく貧しい人も確かに存在する。しかしそれは少数派なのだ。

多くのお年寄り(もうすぐ年金をもらい始める団塊世代を含む)は、豊かな暮らしを死ぬまで続けるのに十分な資産(持ち家、貯金)を既に持っている。

その上さらに、満額でもらい続けている年金を「まさか」の時のために貯金し続けるのだ。「まさか」とは、例えば、空から隕石が落ちてきて家が壊れたとかいうような場合だ。

その「まさか」のための年金は、今のまま行けば決して年金などスズメの涙ももらえることのない現役世代が払っているのだ。

お年寄りはいたわらねばならない。しかし、お年寄りに一律に割引サービス(市バスの乗車賃を無料にするとか)をする理由は、実はまったくないのだ。

若者世代から年寄り世代への搾取が起こっている。もはや、「団塊以上=ブルジョワジー」、「40代以下特に20代=プロレタリアート」で、年寄りと若者の間で階級闘争が起こっても不思議ではない。

若者にまだ希望はある。

万一正社員になったら、3年で会社を辞める。それを繰り返そう。終身雇用制、年功序列制を一掃するのだ。

選挙に行こう。少子化の上に若者の投票率が低ければ、政治は、人数が多く投票率も高い団塊年寄り世代に都合のいいことばかりし続ける。

選挙に出よう。選挙に出れる年齢になったら、議員に立候補しよう。大挙して立候補しまくろう。すぐに当選でなくてもいい。もともと、失うものはほとんどないのだ。

こうやって日本社会のルールを変えていけば、収奪された富は若者に戻ってき始めるだろう。ついでに景気もよくなるだろう。

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2009年4月17日 (金)

年寄りはなぜ3年で辞めないのか?

今日から、『若者はなぜ3年で辞めるのか?』を読み始めた。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書) Book 若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

著者:城 繁幸
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

同様に問題とすべきは、「年寄りはなぜ(あと)3年で辞めないのか?」、ということだ。

4年後の2013年までに、年金支給開始年齢が60歳から65歳へと引き上げられる。それに合わせて、2013年までに、企業は定年を60歳から65歳へと引き上げなければならない。

簡単に言うと、団塊の世代の人達が60歳で定年後、5年間も年金がもらえないと困るだろうから、その間も同じ会社で継続して雇用され給料をもらえるようにしたのだ。これは法的な義務だ。

なぜこれが実現できるかというと、40歳代以下、特に30代前半以下の若い人達に過酷な就職難と低賃金・不安定雇用を押し付けているからだ。

終身雇用・年功序列の既得権を持った高給取りの団塊正社員の賃金を下げたり、辞めてもらったりできない以上、新しく正社員を雇うのを控えるほかないわけだ。若者の就職難はさらに続くのだ。

こういったことを決めて実行している中心的存在は、他ならぬ団塊の世代自身だ。団塊の世代が豊かなままで「逃げ切る」ために、若者世代はとんでもなく不公平な境遇に甘んじている状態だ。

「最近の若者は3年もせずにすぐ辞めて、忍耐力がない」と年寄り(団塊世代)は言う。

しかし、これだけの不公平の中で暴動も起こさずにいる若者の忍耐力は、団塊世代よりずっと高いと言わざるを得ない。

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2009年4月15日 (水)

上司が鬼になると確かに部下は動く、つまり辞める

「上司が鬼とならねば部下は動かず」。

上司が「鬼」とならねば部下は動かず―強い上司、強い部下を作る、31の黄金律 Book 上司が「鬼」とならねば部下は動かず―強い上司、強い部下を作る、31の黄金律

著者:染谷 和巳
販売元:プレジデント社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これは、団塊の終身雇用年功序列パワハラ世代の代表的価値観だ。

「鬼となる」。つまり、恐怖感によって部下を動かそうとするわけだ。

何の「恐怖」か?

クビになる恐怖だ。終身雇用を前提とする限り、クビをちらつかせることは最大の嫌がらせ(ハラスメント)となったのだ。「上司が鬼となれば部下はよく働く」という素朴なマネジメント法は、終身雇用あってこそ成り立つものだ。

会社はいわば江戸時代の「藩」みたいなもので、社員は「家臣」「家来」「下級武士」。藩を追い出されたら、極貧の「浪人」暮らしが待っており、次に「仕官」できる確率はとてつもなく低い。

しかし今や、「終身雇用」は実体のないものとなってしまった。

年功序列の右肩上がり賃金、高額な退職金、退職後は満額の年金。これらすべてを確保するや、鬼の団塊世代は、過酷な雇用体系を若い世代に押し付け始めたのだ。

若者と会社の関係は、否応なくドライなものとなった。よく言えば、「必殺仕事人」と「依頼人」のような関係、と言えなくもない。

そんな若者に、終身雇用時代の特異なマネジメント法を適用しようとしたら、「では、さようなら」と辞めてしまうのが当然だろう。団塊世代のワリを食って低賃金・悪条件で働いているのに、わざわざ「鬼」に付き合う意味がわからない。

だから若者は3年もたたずに辞めるのだ。

と、『若者はなぜ3年で辞めるのか?』には書いてあるに違いない。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書) Book 若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

著者:城 繁幸
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

昨日とうとうこの本を買ってしまった。早速何が書いてあるか確かめてみよう。著者はまだ若い人だ(私より)。

かのアルボムッレ・スマナサーラさんは、『悩まない力』の中で次のように言っておられる。

(日本では)「新入社員には、決まってストレスや強い緊張感を植え付けます。ストレスが入り込むと、心はすっかり固まって、柔軟な動きを失ってしまいます。それこそ、能力低下の原因です。」「日本の社会は、全体としてのマネージメントは最悪でしょう。」
(p.44、『ストレスが能力低下の原因、経営者は考え直せ』より引用)

悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS) Book 悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS)

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:主婦と生活社
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2009年4月14日 (火)

若者はなぜ1年足らずで辞めるのか?

『若者はなぜ3年で辞めるのか?』という本が以前本屋で目に付いたので、いつか読んでみようと思っていたのだが…。まだ読んでいない。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書) Book 若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

著者:城 繁幸
販売元:光文社
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最近は「3年3割」と言われているらしく、新卒新入社員の3割が3年で辞めるらしい。実際のところ、もっと短期間で辞める人も多いはずだ。だから採用する側は、1つの会社に3年以上勤めた経験のある応募者にはそれだけで漠然と信頼感を抱いてしまうくらいなのだ。

転職を繰り返す理由は様々だろう。一つの会社に長くいる方がいいと一概には言えないし、すぐに辞めてしまうのがいいとも言えない。

しかし、短期間で会社を辞めて転職しようとする人がよく口にする転職理由は(少なくとも表向きの理由は)、「もっとやりがいのある仕事をしたい」、「自分の夢を実現させたい」、「やりたいことに挑戦してみたい」、といった系統のものだ。

本当にそんなふうに思っている場合は、よくよく考え直してみた方がいいと思う。

どれも自分の欲求を満たすことを主張しているに過ぎない。自分の欲求・願望を満たしてくれるために給料を払ってくれる会社は存在しないと思ったほうが科学的だ。

とにかく、そんな風にリキんで転職しようとしている人には、私が愛読するアルボムッレ・スマナサーラさんの本を薦めたい。

先日も紹介した『悩まない力』からの一節。

「仕事は、生きるため、家賃を払うためにやるものです。大げさなことではありません。」「そういう程度で、人生を楽しめばいいのです。」(p.42)

悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS) Book 悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS)

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:主婦と生活社
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また、別の著書『ブッダの智慧で答えます-生き方編』からの一節。

「『一人ひとりが社会の歯車だ』とさえ言えるものではない。一人の人生は、せいぜい水道の蛇口のネジを締めるとき、その中に挟むゴムパッキンくらいのものです。」「若者が進路を決める時は、『そんな大胆なことをしなくてもいい。自分に出来る、小さな微々たることで充分だ』という気持ちで決めた方がいいのではないでしょうか。」(p.24)

ブッダの智慧で答えます 生き方編 Book ブッダの智慧で答えます 生き方編

著者:アルボムッレ・スマナサーラ
販売元:創元社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年4月 3日 (金)

『悩まない力』

しばらく前から、書店に行くと『悩む力』というタイトルの新書が大々的に陳列されて目に付いていた。

中身はしっかり読んでいないものの(またタイトルと中身はあまり関係ないかもしれないものの)、このタイトル自体には少々違和感を感じていた。

素直に考えて、我々に必要なのは『悩む力』ではない。『悩まない力』だ。

そう思う人にお薦めなのが次の本:

悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS) Book 悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS)

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:主婦と生活社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

著者のアルボムッレ・スマナサーラさんは、スリランカの原始仏教(テーラワーダ仏教)の長老。1980年に来日されたというから、今の日本の大学生の大部分よりも日本に長く住んでいるわけだ。

原始仏教とは、ブッダ(ゴータマ・シッダッタ)その人が見出した真理そのものを、宗教的・神話的な脚色抜きに忠実に実践しようとするもの。

スマナサーラさんが他の著作でも述べているように、本来、仏教(ブッダの教え)は「宗教」ではない。とことん合理的な、「心の科学」だ。このため、ズブズブに理系な人でも受け容れやすいと思う。

本書の内容は。。。

「誰もが共通して抱える身近な悩みを、一問一答形式で構成」、「ほんのわずかに見方を変えてみれば、人生に起こる『さまざまな悩み』を解決する『力』が簡単に身に付くのです。その『力』は、すでに自分の心にあるのです。」(同書「はじめに」より)。

「悩み」の例を少しだけ。。

「他人の視線が気になる」「理想と違う自分が嫌い」「個性を生かせる仕事がない」「安定した仕事と夢、どちらを選ぶ?」「同性しか好きになれない」「成人した子どもが働かない」「労働に見合った報酬が得られない」「前向きな気持ちになれない」「死ぬのが怖い」「コロリと死にたい」「死後の世界はある?」「安らかに死ぬには」等々。。。

これらの「悩み」に対して、一見意表を衝いたような、しかしとことん合理的な答えが、飄々と返されていく。そして「悩み」は必ず、明確に解決されていく。

理系的に考えれば、そもそも「悩み」など存在し得ないということだ。

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2009年2月 8日 (日)

UNCHANGE! No, we can't.

生きとし生けるものが幸せであるような世界に変わっていきますように。

理系たる者、そのように願わざるを得ない。いや、願うだけでなく、そのように行動するのが理系の道を行く者の務めだ。

アメリカ・オバマ大統領の Yes, we can! その意味するところが、単に、

Yes, we can (keep the U.S. domination over the world)!

No, we can't (allow losing the U.S. domination over the world)!

でないことを望むばかりだ。

コネタマ参加中: あなたが“チェンジ!”したいものは何?

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2009年2月 7日 (土)

We're gonna be in the Hudson.

先月(2009年1月)15日にハドソン川への不時着水に成功したUS Airways 1549便(Cactus 1549)と管制との交信記録が公開された。

チェスリー・サレンバーガー(Chesley Sullenberger)機長が終始冷静さを保っていたことがわかる。この冷静さこそが、的確な判断と正確な操縦を可能にしたのだろう。

「ハドソン川の奇跡」をもたらした後も、機長はあくまで謙虚さを保っていた。救助直後でさえ、軽いジョークを口にするほどの心の余裕を見せている。

まさに、ザ・プロフェッショナル。これこそ、理系の道を生きる者が模範とすべき態度だ。浮かれることもなく、落ち込むこともなく、感情に支配されることなく、淡々とやるべきことをやる。

機長からの最後の交信の言葉が印象的だ。

We're gonna be in the Hudson.

ハドソン川に降りる。

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2009年1月31日 (土)

横審・相撲協会が教える日本の「伝統文化」

横審・相撲協会・マスコミ一体となった朝青龍へのイジメが過熱している。「相撲は単なるスポーツではなく日本の伝統文化」「神事」なのに、「朝青龍がそれを壊している」らしい。

では、今年の初場所が始まる前から、相撲関係者・マスコミ・ファンが繰り広げたあの陰湿な騒ぎは何だったのだろう。

朝青龍が負ける姿を今か今かと待ち望む暗い気持ちが露骨に見て取れた。「負けが込めば引退だ」と、朝青龍に精神的プレッシャーをかけ続けた。元力士のNHK解説者などは、芸能マスコミさながらに付き纏って、自分が悪者にならないように注意を払った嫌らしい婉曲表現で嫌がらせをしていた。

これが、これから「伝統文化」「神事」の本番に取り組もうとしている当事者に対してとるべき態度だろうか? そんな態度を取っている時点で、相撲が「伝統文化」「神事」であることを自ら否定しているようなものだ。相撲を、ほぼ裸体の太ったチョンマゲ男達によるレトロなコスプレ格闘技へと自ら貶めるものではないだろうか。

猛烈なプレッシャーと嫌がらせの中、朝青龍は驚異的な集中力を見せて連勝し続け、最後には優勝決定戦で白鵬に勝った。優勝決定戦を制した時の、屈託のない素直な笑顔が本当に素晴らしかった。私は特に朝青龍ファンではないのだが、それでもあの笑顔を見て、なぜか私まで嬉しくなった。

相撲の「礼儀作法」に則りながら、その枠内で十分に抑制された感情表現だったと思う。狂った観客が投げつけた座布団が顔に当たっても表情一つ変えていなかった。それなのに・・・

「あの『ガッツポーズ』に品格がない」と横審・相撲協会がイチャモンをつけはじめた。

耳を疑った。あのシチュエーションであの程度の感情表現が許容されないとは。。しかも、毎日勝つ度にガッツポーズをしていたわけではなく、最後の最後、あのシチュエーションで、観客の声援に応えて自然に出たものだ。

日本の「伝統文化」はそんなに余裕のないものだったのか?

しかも、「伝統文化」「神事」のファンの中には、朝青龍を擁護する意見を述べる人達を「国賊」呼ばわりする者まで現れ始めたようだ。これはもう、戦中の軍国主義者による「非国民」のレッテル貼りと同レベルだ。

結局、横綱審議委員会委員の脚本家・漫画家・映画監督・歌舞伎俳優達が空想し、守ろうとしている「日本の伝統文化」とは何なのだろう。

これまでの観察によるとこうだ:

  1. 第三者を介しての陰湿なパワハラ
  2. 「伝統」を隠れ蓑にした差別・排外主義
  3. 小姑根性

素晴らしい「伝統文化」だ。

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2009年1月25日 (日)

他人の「品格」をとやかく言う前に、自分の「品格」を磨きなさい

アメリカ行きの飛行機の中でたまたま朝青龍と席が隣になったという知り合いから、以前に話を聞いたことがある。朝青龍は、マスメディアが伝える姿とは違って、ものすごく好青年だったらしい。ただ、日本語がやはり不自由なので、どうしてもうまく想いが伝えられないのだ、と言っていたそうだ。

マスコミは朝青龍が何か「失態」を起こすのを今か今かと待っている。つけいる隙があろうものなら針小棒大に報道する。読者・視聴者の受けがいいからなのだろう。他人の不幸を喜ぶ人、他人を責めることに快感を覚える人は、想像を絶する程に多いのだ。

「横綱の品格」? 「国家の品格」、「女性の品格」、何とかの品格。。

最近よく「品格」という言葉を聞くが、大抵の場合この言葉は、自分が感情的に気に入らない人を非難することを正当化するために利用されている。

他人に「品格」を問う人は、余程自分の「品格」に自信がなければならないだろう。だが、臆面もなく「品格」という言葉を口にする人など、胡散臭くて仕方がない。少なくとも、「人の不幸は蜜の味」を信条とする人達に品格があるとすれば、それは何の品格だろうか?

他人の「品格」を問いたいなら、その前に自分の「品格」を磨くべし。そして、他人の「品格」を問えるほど自分の「品格」を向上させようと本気で努力するならば、他人の「品格」を非難しようなどという暗い気持ちを持つことはなくなるに違いない。

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2009年1月 3日 (土)

プラスマイナスゼロ思考

マイナス思考(ネガティブ思考)とは、不安や恐怖などのために、現実よりも悪く事態を解釈する思考のことだ。うまくいくものも台無しにする損な考え方だ。理系的でない。

一方、プラス思考(ポジティブ思考)とは、できるだけ明るく前向きに、いい結果が出ることを信じて努力するような思考のことだろう。マイナス思考よりましだが、wishful thinking、希望的観測、非現実的な願望、現実から目を背けた気安めに陥りやすい。何より、事実に基づいて思考する理系にとって、いい結果を「信じる」必要がない。

理系は、プラスマイナスゼロ思考だ。

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2009年1月 2日 (金)

Don't try to do it. Just do it.

Don't try to do it. Just do it.
(やってみる、じゃなくて、ただやれ。)

ジッドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)の言葉("Meeting Life : writings and talks on finding your path without retreating from society"より)。理系的な名言だ。

「やってみる」という言葉には、「いい結果が出せないかもしれない」という不安と怖れが現れている。結果に影響するのは、結果を出すために行なう行動のみだ。頭の中で何を妄想していても、それはいい結果を出すためには関係ない。不安や怖れは行動に悪影響を及ぼす。結局同じことをやろうとするのなら、不安や怖れなどの妄想を抱かず淡々と行動する。行動そのものに集中する。それがいい結果を出すための賢明な態度だ。

このフレーズを読んだ時に連想したのが、
Don't think. Feel.

ブルース・リーは、クリシュナムルティに傾倒していたそうだ。この、Don't think. Feel. もクリシュナムルティの著作の影響らしい。

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2009年1月 1日 (木)

2009年1月1日、慈悲喜捨の瞑想

2009年が始まった。今年も、清く正しく理詰めの生き方を極めるために精進しよう。

そんな理系の心を育てるのに有効なのが、「慈悲喜捨の瞑想」だ。私はこれを、テーラワーダ仏教長老のアルボムッレ・スマナサーラさんの著作で知った。

テーラワーダ仏教とは、ブッダ(お釈迦様)のオリジナルの教えを忠実に伝えるもので、インドからスリランカ、タイ、ビルマなどに伝わった、いわゆる南伝仏教だ。ブッダはズブズブに「理系」だったようだ。

以下の言葉を、心の中でひたすら念じる。

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私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私が幸せでありますように
私が幸せでありますように
私が幸せでありますように

私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々に悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々が幸せでありますように

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

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2008年12月31日 (水)

オカルトを批判するなら、阿弥陀仏や極楽浄土も批判しなきゃ…

オカルトやスピリチュアリズムを批判するのであれば、例えば阿弥陀仏や極楽浄土を説く宗教やその他のほとんどの既成宗教も批判しないと、理系的には筋が通らないだろう。。

何を思ったかテレビや書籍で熱心に「オカルト批判」「スピリチュアル批判」を展開する「科学者」を見るたび、そう思っていた。ところが、昨日テレビで見た『たけしの超常現象(秘)Xファイル』での大槻センセーの話で、疑問の一部が解けた。

大槻センセーは実は「人類は月に行っていない」と考えているようなのだが、「学界での立場や社会的な立場を考えると、私の口からそういう風に言うことはできない」、と率直に認めておられた。御立派。

そうなのだ。既成宗教は、権力があまりに大き過ぎるため、批判するのが怖いのだ。どうでもいいような弱小新興勢力をあのようにサディスティックに罵るのは、その腹いせなのだ。

すっきりした。大槻センセー、有難う!

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2008年12月24日 (水)

「結果がすべて」という不幸な発想

「結果がすべて」、とカッコつけて言う人が時々いる。本当にそうだろうか?

物事は因果法則で推移する。結果は、そこに至る過程での様々な原因の積み重ねにより必然的にもたらされるのだ。

いい結果を得たければ、いい結果が出るような原因を作る以外に方法はない。ということは、「結果がすべて」ではなく、むしろ「結果を出すまでの過程がすべて」ではないのか。

コントロールできない様々な条件も結果に影響するので、努力しても望ましい結果が得られないこともある。そんな場合でも、結果に執着せずに最善を尽くしていれば、次にいい結果を得る確率は高まるだろう。

「結果がすべて」というのは、不幸を招く発想だ。

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2008年12月23日 (火)

二兆人の先祖 ・・・ 理系的には人類皆親類

あなたの父母は2人、父母の父母はそれぞれ2人ずつで4人、そのまた父母はそれぞれ2人ずつで計8人、、、という具合に、n代前の先祖の数は、のべ2のn乗人ということになります。

一代の時間、つまり子供を産む平均的な年齢を仮に25歳とすると、十代前は大体250年前。江戸時代、徳川吉宗や平賀源内が活躍していた頃に、あなたの先祖はのべ2の10乗人、つまり約千人いたことになります。

さらに十代遡って今から二十代前の約500年前は、戦国時代。一向一揆が盛んだった頃です。その頃あなたの先祖は、のべ約千の2乗、つまり百万人ほどいたことになります。

もう十代遡り、今から三十代前の約750年前は鎌倉時代、元寇があったりした頃です。皇居外苑に像がある楠木正成が生まれる少し前あたりです。この頃の先祖の数は、のべ約千の3乗、つまり十億人ばかりいたことになります。あくまで「のべ」ですが。

さらに十代遡り今から四十代前の千年前は平安時代、平将門の少し後の頃です。この頃の先祖は、のべ約千の4乗、つまり一兆人にのぼります。

この一兆人が全部別人ということはあり得ません。千年前の日本の人口が何人かは知りません。が、仮に一千万人だったとして、その全員がもれなくあなたの先祖だったとしても、一人当り十万回登場してもらわないと一兆人になりません。おそらくもう日本だけでは足りないかもしれません。

こうして同一人物の重複を除いても、膨大な人数であるには違いありません。おそらく、当時の日本人のかなりの割合が、あなたの先祖であるに違いありません。

千年前までの先祖の総数は、2+4+8+...+2**40(等比数列の和)で、のべ約二兆人ということになります。あくまで「のべ」ですが。この、のべ二兆人の先祖の中には、武士、農民、職人、商人、僧侶、学者、盗賊、等々、あらゆる階層、あらゆる職業の人が含まれているはずです。

のべ二兆人の先祖に見守られていると思うと、、、どんな苦難も乗り越えられることでしょう。

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