カテゴリー「理系研究者の世界」の31件の記事

2009年11月 1日 (日)

さらばカンブリ - 京大の入試会場はどうなるんじゃろ。

京都に、「関西文理学院」という老舗の予備校がある。「カンブリ」と呼ばれている。

京都御所、同志社大学がある烏丸今出川の交差点から、烏丸通を少しばかり北に上がった、鞍馬口というところにある。

このカンブリが、来年(2010年)3月で廃校になるそうだ(注1)。

あれま。

「少子化」で実質的に大学全入の時代ですけぇの。わざわざ浪人してカンブリで過ごそうという人も少なくなったんじゃろね。

四半世紀以上前になるが、私はこのカンブリで入学試験を受けたことがある。

予備校の入学試験ではない。京都大学の入学試験だ。京大では、一部の受験生はなぜかこのカンブリで入試を受けることになっている。「大学の教室では足らないから」というのが理由だが、別の理由もあったのかもしれない。

「大学行くのに、何で予備校で入試なんじゃ?」と疑問に思いつつ、一生に一度きりの大学入試(注2、3)を予備校で受けたのだった。

カンブリ廃校後、校舎は「長浜バイオ大学」の京都キャンパスとして使われるそうだ。

えっ、ほな京大の入試会場はどうなりまんの。

まさかいくらなんでも、京大の入試を長浜バイオ大でやるわけにはいかないだろう。もう大学内だけで受験会場は足りるのだろうか。それとも、近所の錦林小学校の教室でも借りるのだろうか。

ちゅうかそんなことより、わしゃ、「長浜バイオ大学」が予備校によって設立されたものとは知らなんだ(注4)。

予備校が大学を始めるというのも、何となく不思議な感じがする。

というのも、予備校の目的は、受験生を大学に入れてあげることだ。なら、予備校の大学は、受験生をみんな入れてあげればいいだろう。しかしそうすると、予備校生がいなくなる。なら、予備校の大学は受験生みんな落としたらいいか。いや、そんなことしたら大学入学者がいなくなる… と、このように屁理屈の無限ループに陥るのだった。

しかし、そう言えば、駿河台大学のように、予備校の大学は他にもあった。

長浜バイオ大学は、「日本で唯一のバイオ系単科大学」だそうだ。医科大学、薬科大学は昔から無数にあるけど、「バイオ系」の定義は何じゃろ?

医師免許も薬剤師免許もとれない、ちゅうことか。

__________
(注)

  1. 朝日新聞2009年10月24日配信記事 http://www.asahi.com/national/update/1023/OSK200910230142.html
  2. 当時、国立大学は一校しか受験できなかった(注3)。学費の高い私立大学を受けることは私には想像すらできなかった。当時の国立大の年間授業料は既に21万6千円まで値上がりしていたが、それでも私大よりはかなり安かった。その数年程前まで、国立大の年間授業料は数万円程度だったのだ。
  3. 2009年1月17日記事 『共通一次世代』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e932.html
  4. 1951年開校のカンブリの運営母体は、その後1954年に「関西文理学園」という学校法人になっている。そして、1986年には専門学校「ビジネスカレッジ京都」を開校、1993年には専門学校「バイオカレッジ京都」を開校させた。その後、2002年に「関西文理総合学園」を設立し、その翌年「長浜バイオ大学」を開校している。(同学園のWebページより http://www.kanburi.ac.jp/gakuen/history/index.html

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2009年9月29日 (火)

独立行政法人役員は「公募」 - どうせなら、「天下り公募」も禁止!にしてはどうだす?

官僚の「天下り」をなくすため、独立行政法人の役員は原則「公募」にするそうだ(注1)。

一歩前進とは思うが、どうせなら、関係省庁OBによる「天下り公募」も禁止してはどうか。

例えば、理系研究者の世界の場合、国公立・独法の教育・研究機関では、もう何年も前から教員・研究員の採用は「公募」によるものとなっている。しかしそれは、「公募」の体裁を取っているだけで、実際にはほとんどが「コネ」による採用を正当化するためのものとなっている。それについては以前にも書いた(注2)。

独立行政法人の役員ポストに応募する人なんて、関係省庁の官僚か元官僚ばかりになるのではないか。その上、応募者の適性を定量的に評価する尺度がない以上、採用側に都合のいい人物が主観的に選択されても文句をつけることは難しい。

研究者の場合のように「コネを正当化するための公募」にならないようにするには、思い切って関係省庁OBの応募を禁止してみてはどうか。あるいはさらに踏み込んで、公務員の応募を一切禁止するのもいいかもしれない。そうすれば、「公募による天下りの正当化」はほぼ完全に防げるのではないか。

もっとも、その前にまず、無駄な独立行政法人を廃止する方が先かもしれないけどにゃ。
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(注)

  1. 産経新聞2009年9月29日配信 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/dompolicy/306864/
  2. ポスドク (5) ポスドクの憂鬱 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e75f.html

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2009年9月13日 (日)

理研主任研究員が背任 - Appendix 2. 「架空発注」は本当に新規性がなかったらしい。ホンマかいな?!

9月8日に背任容疑で逮捕された理化学研究所(理研)の主任研究員は、累計5500万円もの私的な出費を出入業者に付け回し、その返済のために累計3900万円もの架空発注を行なっていた(注1)。

また、「旅費二重取り」についても、「出入業者付け回し」と「架空発注」の複合手法により実現させていた(注2)。

さらに呆然とさせるような数々の手口を、この主任背任研究員は実行していたらしい。

(1) 複数業者の利用

まず、5500万円の業者付け回しと、3900万円の架空発注との差額の1600万円。これは、別の出入業者に提供させていたらしい(注3)。

業者に付け回すことも、お金や物品をタダでもらうことも、どちらも一種の「収賄」だろう。国公立の大学・研究機関の研究者は、「お歳暮」や「接待」の類も禁止されているはずなのだが。

医学関係の世界では「よく聞く話」なのかもしれないが。

(2) 原資使い分け

2003年10月から2007年3月までの架空発注には、経産省からの研究委託費と文科省からの運営費交付金、つまり国からの資金を利用していた。運営費交付金というのは、大学で言う「校費」のようなものだろうか。

ところが、2007年4月以降、理研に「納品確認センター」が設置された。それにより、国からの資金を使って購入したものはすべて、100万円未満でも納品が検査されるようになった。

困った主任背任研究員は、架空発注のための予算を、民間からの受託研究費に切り替え、その後も架空発注を継続していたという(以上、注4、5参照)。その執念には唖然とさせられる。

研究委託費・受託研究費というのは、いわゆる「競争的資金」と呼ばれるものだ。最近では、どのくらい「競争的資金」を獲得したかが、採用・昇進などの際の重要な研究者評価基準となっている。

この主任背任研究員は、「架空発注の原資確保」のためにガンバって「競争的資金」を獲得していたのだろうか。

(3) 模倣?

主任背任研究員は、警視庁捜査二課の取調べに対し、「他の研究者がやっていたのをまねて架空発注をした」という趣旨の供述をしているらしい(注6)。まるで、「架空発注」が周囲で横行していたかのような口振りだ。

これはどうにも信じ難い。確かに、羽振りのいい研究者の中には、信じ難い不正を働いている人がごく稀にいるが、それは例外中の例外と思われる。

特に近年は、研究者の不正(論文捏造、旅費二重取り、接待、セクハラ・パワハラ、等々)が厳しく監視されるようになっている。研究者の側では、うっかり不正をしてしまわないようにビクビクしていたはずだ。

同主任背任研究員は、1984年に東大工学部の博士課程を修了してすぐに理研に入所している。そのまま理研に勤め続けて「主任研究員」まで登り詰めた、理研一筋の古株だ。

80年代・90年代の牧歌的時代、理研では「架空発注」が横行していたのか? そういう文化の中で研究者・社会人として育ってしまい、善悪の判断が狂ってしまったのだろうか。

いずれにせよ、理研に限らず、他の大学・公的研究機関の研究者達も、これからはますます痛くもない腹を探られる羽目になるだろう。

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(注)

  1. 2009年9月10日記事、『理研主任研究員が背任容疑 - 出入業者に払わせた私的遊興費を税金で返済するための「架空発注法」の応用: 方法、結果、考察。 新規性なし、リジェクト!ザンネーン!』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-a5a5.html
  2. 2009年9月11日記事、『理研主任研究員が背任容疑 - Appendix. 旅費二重取りの新規手法』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/appendix-ce28.html
  3. 毎日jp、2009年9月11日付記事 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090911k0000e040071000c.html?inb=yt
  4. 毎日新聞2009年9月9日配信、Yahooニュース記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090909-00000056-mai-soci
  5. 時事通信2009年9月10日配信、Yahooニュース記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090910-00000008-jij-soci
  6. 毎日新聞2009年9月12日配信、Yahooニュース記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090912-00000039-mai-soci

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2009年9月11日 (金)

理研主任研究員が背任容疑 - Appendix. 旅費二重取りの新規手法

9月8日に背任容疑で逮捕された理化学研究所(理研)の主任研究員は、累計5500万円もの私的な出費を出入業者に付け回し、その返済のために累計3900万円もの架空発注を行なっていた(注1)。

しかし話はそれだけではなかった。

同主任研究員は、出入業者への付け回しを「旅費二重取り」にも応用していたらしい(注2)。

業務での出張には当然、所属組織から旅費(交通費・宿泊費)が支給される。ところが、その旅行が業務での出張であることを隠し、私的な旅行の費用と偽って出入業者に付け回していたのだ。それにより、実際にかかった出張旅費の2倍の金額を、主任研究員は受け取っていた。

出入業者に付け回した金額は、その後「架空発注」により理研の予算から補填され始めた。つまり主任研究員は、最終的に、理研という1つの組織から旅費を二重に受け取ることに成功していたことになる。

通常、「旅費二重取り」は次の手法で行なわれる。

どこかの組織から講演などの依頼を受けて出張する。依頼されて出張した場合、旅費は依頼した組織から支払われるのが普通だ(加えて、講師謝礼なども支払われる)。

そのように旅費が支払われるにもかかわらず、そのことを隠して自分の所属組織にも出張旅費を請求する。旅費は、出張を依頼した組織と自分の所属組織の二箇所から支払われることになる。

それが普通の「旅費二重取り」だ。したがって、依頼されたわけではない出張の場合には適用できない。

ところが同主任研究員は、出入業者への付け回し(その後の架空発注による補填)を利用することによって、依頼されたわけではない出張の場合にも「旅費二重取り」を実現させていたのだ。

余程お金に困っていたのか?
__________
(注)

  1. 昨日の記事 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-a5a5.html
  2. 時事通信2009年9月9日配信Yahooニュース記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090909-00000072-jij-soci

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2009年9月10日 (木)

理研主任研究員が背任容疑 - 出入業者に払わせた私的遊興費を税金で返済するための「架空発注法」の応用: 方法、結果、考察。 新規性なし、リジェクト!ザンネーン!

9月8日の各紙報道によると(注1~4)、理化学研究所(理研)の主任研究員(注5)が背任容疑で逮捕された。1100万円の「架空発注」の疑いという。

理研は、文科省(旧科学技術庁系)所管の独立行政法人(以前は特殊法人)。理系研究者のパラダイスとも呼ばれ、大学の先生達の妬みを買っている。鬱陶しい教育の義務がない上に、多額の研究費が確保されているからだ。理研の「主任研究員」は、大学の「教授」に相当する。

最初、「政敵」にハメられたのか? とも思えたが(注6)、そうではないらしい。

Materials and Methods

  1. 主任研究員が、私的遊興費の領収書を出入業者(注7)に付け回す。
  2. 出入業者はそれらの代金を支払う。
  3. 出入業者が立て替えて支払った代金を「返済」するため、主任研究員は出入業者に「架空発注」する。
  4. 実際には何も納品されていないのに、理研から出入業者に代金が支払われる。

Results

主任研究員は、ゴージャスな私的旅行と飲み食いをタダ(税金)で満喫した。出入業者は、主任研究員と一蓮托生の関係を築き、安定的な受注を確保した。

そりゃいつかバレるでしょう。そんな古典的な方法。

ところが長い間バレなかった。

結末は、意外にも主任研究員自身の「告白」により訪れたようだ。内部告発されそうになったのか、それとも、「罪の意識」に耐えられなくなったのか。

最終的に、出入業者ともども、お縄となった。業務上横領じゃの、こりゃ。

Discussion

主任研究員は、1999年8月から私的遊興費を出入業者に付け回して支払わせるようになった。

この付け回しを持ちかけたのは、どうやら出入業者の方だったようだ(注8)。

もともと、一種の接待のつもりでサービスしようと考えたのだろう。出入業者は、資本金2000万円、従業員10人程度の零細企業だ(注7)。理研という大口顧客を掴むには、多少の接待費はやむなしと考えたのではないか。

ところが、開始から4年経過した2003年10月には、付け回しの累計が700万円に達した。

図に乗った主任研究員による付け回しが大胆さを増していったのだろう。悲鳴を上げた出入業者が、一定の返済を主任研究員に求めたと思われる。

そこで主任研究員は、「架空発注」による穴埋めを行なうことにした。それが、主任研究員の発案なのか、出入業者の発案なのかはわからない。

最終的に、付け回し総額は約5500万円に達し、そのうち約3900万円が「架空発注法」により返済されたという。

今回の逮捕の容疑は、そのうち、2004年11月から2008年5月までの3年半にわたる、計21回、計約1100万円の架空発注に対するものだ。

1回当たりの架空発注額は、約50万円。架空発注の頻度は、2か月に1回、ということになる。つまり、目立たないように小口に分けて返済していたわけだ。

しかし、その代償は大きい。

主任研究員は、懲戒解雇となり、億単位の損害賠償請求を受けるだろう。零細な出入業者は、廃業を免れないのではないだろうか。

医師免許のような資格があるわけでもなし(多分)、年齢も50半ば。主任研究員が将来(服役後?)、どこかの研究者として再就職することは、ほぼ不可能だろう。

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(注) References

  1.  毎日新聞2009年9月8日配信Yahooニュース記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090908-00000022-maip-soci
  2. 読売新聞2009年9月8日配信Yahooニュース記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090908-00000946-yom-soci
  3. 産経新聞2009年9月8日配信Yahooニュース記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090908-00000559-san-soci
  4. 時事通信2009年9月8日配信Yahooニュース記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090908-00000080-jij-soci
  5. 理研の超分子科学研究室 http://www.riken.go.jp/r-world/research/lab/wako/supramolecule/index.html
    (2009年9月13日付記: この記事が書かれた数日後、同研究室のHPはアップデートされた。現在では別の主任研究員の人がこの研究室のリーダーに就任したようだ。ただし、同ページにリストされている「主要論文」はもとのままで、逮捕された主任研究員が「ラストオーサー」になっているものが多い。)
  6. 研究者の世界には、一定の割合で「政治家」が存在する。狭い世界の小さな政治が好きな人達で、「なんでわざわざ科学者になったんじゃ?」と思えるような人達だ。
  7. 秋葉産業の紹介Webページ http://www.nexgate.jp/akiba/
  8. 時事通信2009年9月10日配信Yahooニュース記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090909-00000202-jij-soci

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2009年7月27日 (月)

助教授と准教授、助手と助教、○○博士と博士(○○) - 「大学」はそろそろ中身も変化させる時ですけぇのぉ

2007年4月1日の学校教育法改正によって、かつての大学の「助教授」は廃止され「准教授」と名前を変えた。さらに、かつての「助手」の身分も、「助教」と「助手」へと変わった。

今回の改正によると、各職位の定義はこうなっている(注1):

  • 教授: 専攻分野について、教育上又は実務上の特に優れた知識、能力及び実績を有する者であつて、学生を教授する。
  • 准教授: 専攻分野について、教育上又は実務上の優れた知識、能力及び実績を有する者であつて、学生を教授する。
  • 助教: 専攻分野について、教育上又は実務上の知識及び能力を有する者であつて、学生を教授する。
  • 助手: その所属する組織における教育の円滑な実施に必要な業務に従事する。

「准教授」は、かつての「助教授」そのものだ。名前が変わっただけだ。昔から米国等の「associate professor」の訳語として「准教授(あるいは準教授)」が使われていたので、わかりやすい。

准教授が「学校教育法改正により教授の補佐的立場から解放された」、と妙に意気込んでいるセンセもいるようだ。以前の学校教育法では「教授の職務を助ける」というような定義だったものが、今回の改正により、ほとんど「教授」と同じになったからだ。違いは、教授が「特に優れ」ているのに対し、准教授は単に「優れ」ている、ということだけだ(この方がむしろ屈辱的と言えなくもないと思うが)。

しかし、名前が変わっても実態に変わりはない。研究室の中の教員の役割をどう位置づけるかは、大学ごと、研究室ごとに様々だ。今回の法改正の少し前から既に「助教授」を「准教授」に呼称変更していた大学も多い。

わかりにくいのが「助教」だ。概ね、かつての「助手」のうち、研究者としてのレベルがそこそこ高い人達はみんな「助教」になった。おそらく、米国でいうassistant professorに相当するものとの位置付けだろう。

しかしそれなら、いっそ「助教授」としてあげればよかったのに。せっかく「准教授」ができて「助教授」が空いたのだから。

2007年の法改正まで、「助教」という職名を聞いたことがあった人は少なかっただろう。聞いたことがあった人は、十中八九、昔(かなり昔)の小中学校の「代用教員」みたいな立場を思い浮かべたはずだ。「助教」になって、法的には教員としての地位が上がったはずなのに、職名からはむしろ地位が低下したかのような印象を与えている。まあ、慣れの問題かもしれないが。

かつての「助手」のうち、研究・教育の補佐的な立場の人は「助手」のままだ。上記の定義によると、teaching assistantに毛が生えたような立場ということだろう。

ところで、随分前(1991年)になるが、やはり学校教育法の改正により、かつての「○○博士」が「博士(○○)」と呼称変更された。

例えば、私は「博士(理学)」だ。「理学博士」ではない。要するに、「博士」がPh.D.の訳語であることをはっきりさせたわけだ(注2)。博士号の実態に何か変化があったわけではない。呼称が変わっただけだ。今回の「助教授→准教授」「助手→助教」の呼称変更もそれと同じようなものだ。

ただし今後、「大学」は実態も大きく変えていくことだろう。

一握りの研究系大学を除く多くの大学は、現在の「専門学校」に近い実用重視の即戦力養成機関に近いものに変わっていくだろう。一方で、現在の「専門学校」の中には、「大学」に変わるところも多いかもしれない(注3)。

遊び回るために大学に行くほど、日本は豊かではなくなってきましたのですじゃ。
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(注)

  1. 文科省のWebページ http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/an/162/05022801/003.htm
  2. 以前の記事「Ph.D.」 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/phd-7324.html
  3. 例えば、asahi.comの記事 http://www.asahi.com/national/update/0623/TKY200906220340.html

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2009年6月 8日 (月)

「世界誕生○○前仮説」

前の記事で、「世界誕生数秒前仮説」という、竹内薫さんが著書『99.9%は仮説』の中で紹介している仮説を紹介した(注)。

その仮説とは、「この世界は、実は、ほんの数秒前に誕生したばかりです。でも、あなたの頭には精巧なニセ記憶が仕込まれているので、あなたはもう長いあいだ生きていると思っているし、地球は何十億年も続いていると考えているのです」(同書p.178より引用)というものだ。

この仮説を「否定することはできない」というのが通説らしいが。。。

「そんなことはないだろう」という常識的な偏見のもとに、いろいろと屁理屈を考えてみた。

まず、この仮説が成り立つなら、「世界誕生数分前仮説」、「世界誕生数時間前仮説」、「世界誕生数日前仮説」、「世界誕生数年前仮説」、「世界誕生数十年前仮説」、、等々、自分が生まれて以降の任意の時点での無数の「世界誕生仮説」が、まったく同様の論理で成り立つはずだ。

ところが、それらの仮説は決して同時には成り立たない。と言って、どれも否定できない。したがって、どれも成り立たない。

ちょっと苦しいだろうか。。。

しかし、こういう仮説が否定できないというのなら、例えば、「人間は死後、阿弥陀様に導かれて西方の極楽浄土へ赴く」という仮説も否定できないということだろう。

つまり、「反証可能」でないから、こんな仮説は「科学」の仮説ではないということだろう。「哲学」の仮説にはなるかもしれないが。
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(注) 『「世界誕生数秒前仮説」。。。は「科学」なんっすか?』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-f25c.html

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2009年6月 7日 (日)

「世界誕生数秒前仮説」。。。は「科学」なんっすか?

前の記事でも書いたが、竹内薫さんの本『99.9%は仮説』は面白い本だ。お薦めしたい。

が、前の記事でも書いたように、疑問に思う部分もいくつかある(注1)。同書178ページで紹介されている「あたまが柔らかくなる仮説⑤」の「世界誕生数秒前仮説」もその一つだ。

「世界誕生数秒前仮説」とはこういうものだ。「この世界は、実は、ほんの数秒前に誕生したばかりです。でも、あなたの頭には精巧なニセ記憶が仕込まれているので、あなたはもう長いあいだ生きていると思っているし、地球は何十億年も続いていると考えているのです。」(同書同ページより引用)

「この仮説を否定する方法はありますか?」「自分なりに考えてみてください」というのが、私たちの頭を柔らかくしてくれるための竹内さんの問いかけだ。「これは哲学者がよくあげる例」だそうだ(同書p.240)。

あたまを柔らかくしたいので、私もいろいろ考えてみた。しかし妙案が思いつかない。

竹内さんも紹介しているように(同書p.241)、「この仮説を否定する証拠はありません」。つまり、この仮説を反証する方法はありません、ということだ。

ところが、著者の竹内さんも同書中(p.132)で述べているように、「科学」の仮説とは「反証可能」でなければならないのではないか。

とすれば、「世界誕生数秒前仮説」は、科学ではないということになる。オカルトや宗教の同類ということだ。「哲学者がよく挙げる例」だそうだが、やはり「哲学」とはオカルト・宗教の同類ということなのか。そんな「仮説」について考えてみても、「あたまが柔らかく」なったりするのだろうか。。。

竹内さんがこの仮説を紹介した意図がよくわからなかった。ひょっとして、「科学」と「非科学」を見分けるための練習問題、ということなのだろうか。それなら話はわかるが。

しかし、本当にこの仮説を否定する方法はないのだろうか。哲学者や竹内さんは「ない」とおっしゃっているが。

何かあるような気がする。いつか思いついたら書きます。

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(注)

  1. 『「科学はもともと哲学だった」…そりゃあまりにも西洋近代中心主義的な誤解っすよ』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-fcb3.html
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「科学はもともと哲学だった」・・・そりゃあまりにも西洋近代中心主義的な誤解っすよ

少し前に出版された本になるが、竹内薫さんの『99.9%は仮説』(光文社新書)を読んでいる。

この本はなかなか面白くて、ためになる。読みやすい。「花咲爺さん」の異名を取るらしい竹内薫さんの人柄を表しているのだろう、とても優しい語り口だ。私がよく見る『たけしのコマネチ数学科』(フジテレビ)での竹内薫さんの姿が思い浮かぶ。

しかし途中、気になる箇所があった。それはp.141からの「科学はもともと哲学だった」という節だ。その節の要旨は次のようなものだ:

  1. 科学的思考の基礎がなおざりにされている。
  2. 科学は細分化し過ぎて、土台があやふやになっている。
  3. 「科学」という訳語は、明治時代に西周(にし・あまね)が考案したもので、「多くの科に分かれた学問」という意味だ。
  4. 「もともと西洋では、科学の前身は哲学でした。」
  5. 西洋では今でも科学の分野で博士号をとると「哲学博士」となるが、それは科学が哲学の一部であったころの名残りだ。
  6. 日本では、哲学の部分から抜け出て細分化された状態で「科学」が輸入された。
  7. そのため、日本の科学は、「西洋で脈々と受け継がれてきた歴史や精神に欠ける部分があります。」

要するに、科学をするには西洋哲学(特に科学史、科学哲学)を学ぶ必要がある、という主張だ。

この内容には、二重、三重、四重、、、に疑問がある。

上の1、2の点はいいとしよう。その点はまさに心しなければならない。「理系」とは、清く正しく理詰めで生きる道なのだ。

3について補足すると、「科学」のみならず「哲学」という訳語も、明治時代の西周が考案したものだ。科学は「science」、哲学は「philosophy」に相当する。

4が問題だ。竹内さんの説によると、もともと「哲学」という母体があって、そこから「科学」が分化してできた、ということになる。

しかし昔の西洋に関して言うなら、そもそも、「自然」に関することも「社会」に関することも「人生」に関することも、何かものを深く考えること、つまり学問全般をひっくるめて philosophy と呼んでいたのだ。

語源的には、philo(愛) + sophy(智)(智を愛すること love of wisdom)だ。昔の西洋でphilosophyとは、要するに「学問」のことだったのだ。現代で言う「哲学」自体、昔のphilosophyから細分化してできたものと言える。

したがって、「『科学』はもともと『哲学』だった」のではない。それを言うなら、「科学」も「哲学」も、もともと単なる「学問」と呼ばれる活動の中の各分野だった、という方が正しい。

5については、以前の記事でも書いた(注1)。Doctor of Philosophy (Ph.D.)に、「哲学博士」というような意味はない。あえて言えば、「学問博士」だ(日本の「学術博士」みたいだが)。科学分野に限らず、文学、法学、経済学で博士号をとっても Doctor of Philosophy だ。

6については、ある意味正しい。ただし日本では、「科学」のみならず「哲学」も、philosophyから抜け出て細分化された状態で輸入されたものだ。

7については、したがって、「科学」の土台をしっかりさせるために西洋の「哲学」を学んでも意味はない。そもそも、科学は「西洋の文化」ではないからだ。古代インド、中東、エジプトも「西洋」と呼ぶなら話は少しだけ別になるが。ただし、科学史、科学哲学をもっと教養として学ぶべきだ、という主張には共感する。

以上のようなわけで、竹内さんのこの本、素晴らしい本だが、「科学はもともと哲学だった」という部分には大いに異論があるのだった。

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(注1) 以前の記事『Ph.D. (ピーエイチディー)』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/phd-7324.html

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2009年5月 7日 (木)

ポスドク (12) ポスドク1人採用につき500万円、文科省が支給。。。ほんまかいな、そうかいな

毎日新聞(ネット版)5月6日付の記事によると、「博士号取得後に任期付き研究員(ポスドク)として大学や公的研究機関で働く人たちの民間企業への就職を増やそうと、文部科学省が、ポスドクを採用した企業へ1人につき500万円を支給する」(同記事より引用;太字・下線は筆者;注1)。そのため、2009年度補正予算案に5億円を計上したとのこと。

ただし、その支給方法は、「まず企業からポスドクの活用方針や業務内容、支援策などの採用計画を募集。科学技術振興機構で審査した上で、採択された企業に対してポスドク1人につき500万円の雇用経費を支払う。支援期間は1年間だが、『使い捨て』にならないよう、終了後のキャリア構想も審査する」ということらしい(同記事より引用;太字・下線は筆者;注1)。

文科省・科学技術振興機構(JST)のWebサイトを探してみたが、まだ詳細な情報は見つけられなかった。

以前に何度か書いたように、日本のポスドクは現在、悲惨な状況にある(注2~7参照)。

大部分のポスドクにとって、アカデミックなポストに就職するのは宝くじを当てるくらい難しい。終身雇用・年功序列制を維持している民間大企業への就職は、ほぼ無理。

ただし、まともな科学技術系の中小・ベンチャー企業では、これまでも理系ポスドクを割と積極的に採用してきている。たったの500万円とは言え、貰えるものは貰っておこうということになるだろう。したがって、この文科省の支援事業に主に応募するのは、科学技術系の中小・ベンチャー企業になるだろう。

しかし、これでポスドクの雇用が促進されるかと言うと、おそらく無理だ。

まず、予算規模が5億円ということは、単純に計算するとポスドクたったの100人分ということになる。次に、上で書いたように、この支援事業に応募するのは、これまでも既にポスドク採用を行なっている科学技術系の中小・ベンチャー企業が主になると思われる。500万円貰えるから新たにポスドク採用枠を増やそうという会社はほとんど現れないだろう。

つまり、これによってポスドクの雇用機会が増えるというよりも、これまでもポスドクを採用してきている企業が若干の資金援助を得るという結果で終わりそうだ。

昨日、『海外で勉強して働こう』について書いたが(注8)、日本人理系ポスドクこそまさに、海外で働けるよう準備しておいたほうがいいのかもしれない。

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注:

  1. 毎日新聞ネット版5月6日付記事『ポスドク:1人採用で5百万円…文科省が企業に「持参金」』 http://mainichi.jp/select/today/news/20090506k0000e040013000c.html
  2. 『Ph.D. (ピーエイチディー)』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/phd-7324.html
  3. 『ポスドク (1)』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e9e6.html
  4. 『ポスドク (5) 公募の憂鬱』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e75f.html
  5. 『ポスドク (6) ポスト・ポスドクの憂鬱…任期制職員』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-25ea.html
  6. 『ポスドク (7) 「雇い止め」』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-6083.html
  7. 『博士の異常な卒業 または私は如何にして心配するのを止めて就職活動をするようになったか』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-7ced.html
  8. 『On Off and Beneath - 「日本はもう立ち直れないから、海外で勉強して働こう」って、んなアホな・・・』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/on-off-and-bene.html

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2009年4月11日 (土)

ポスドク (11) 米国への引越し - 運転免許をとる

海外でポスドクをする場合、滞在先は米国か英国というのが圧倒的多数だ。私は米国でポスドクをした。というわけで私の経験を前回から紹介している。

住むところが見つかったら、できるだけ早く運転免許をとる。私が免許をとったのはメリーランド州だった。

免許センターのようなところに行って免許をとるための手続きを聞いた。最初に、地域のコミュニティセンターみたいなところへ行って、安全講習会のようなものを受けろという。

免許センターで教えられたところ(多分、地域の「交通安全協会」のようなものだったのだろう)に電話をして講習会の場所を聞く。指定された日の夜に1時間ほどの講習があって、最後に簡単なテスト。その結果を、後日免許を取りに免許センターに行く時に持っていって提出する。

免許を取りに行くと、まず、コンピュータの画面で答える形式の筆記(?)試験。ちょっとした引っ掛け問題のようなものもあるが、英語がわかる人なら問題ないだろう。

この試験に合格したら、次は免許センターの構内のコースで実技試験。日本の教習所の中のコースで仮免用の修了検定を受けるような感じだ。

ただし、車は自前で調達しなければならない。私は国際運転免許証を持っていたので、自分で借りたレンタカーで試験を受けた。車の免許を取るのに、自分の車で免許センターに行くというのも妙な感じだが。

現地の人達は、家族などに車で連れてきてもらって、その車で試験を受けているようだった。車はほとんどオートマ車のようだったが、マニュアルだろうがオートマだろうが、もらえる免許は同じのようだ。

コースのスタート地点で車に乗ったまましばらく待機。やがて順番が来て、アメリカンな制服警官がやって来て助手席に乗り込んでくる。

車を発進させるように指示され、構内のコースをドライブ。坂道発進などの高等テクニックは必要とされないし、日本で免許を持っている人ならまず問題ないだろう。

最後に停車して、サイドブレーキを引いて終わり。

これで米国の自動車運転免許獲得だ。国際運転免許証から卒業できる。

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2009年3月23日 (月)

採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (3) 東大神話編

就活を行なう側が、「敵情視察」に好適な本として、

新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書) Book 新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書)

著者:樋口弘和
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

を前々回、前回と紹介してきた。

ズブズブに理系の立場から、本書の内容に関して質問したいことがもう一つある。

著者の持論の一つは、

「一部の一流企業をのぞく普通の会社は『東大卒は採用するな』」

らしい。おそらく、「ハーバード大、ケンブリッジ大卒は、書類段階で落とせ」も持論の一つだろう。

「東大だけを取り上げたのはもちろんシンボルとしてであって、他の一流大学も同様なことはいうまでもありません」とのことだが。

で、一流大学卒を採用してはいけない根拠は、

「一般的な企業に来る一流大学卒は、受験勉強だけのスペシャリストが多い傾向にあります」
「こうした人材を能力面で見ていくと、自立性や社会性の欠如ということになります」
「一流大学の学生が、受験してくることそのものを疑ってかからなければいけない」
「実際に『訳あり』のケースが多い」

とのことだ。

これは都市伝説ではないのか? 人材採用を都市伝説に基づいて行なっていいのだろうか。

私の観察では、「受験勉強だけのスペシャリスト」は、どの大学にも大体同程度に分布している。実際にどれだけ試験で点数をとれるかは別問題だ。

自立性や社会性が欠如した人の分布も同様。「訳あり」の分布も同様。

「東大卒」でそういうタイプの人達は、東大卒ということで目立つため矢面に立っているだけなのだ。

一方で著者は、「応募から採用まで、学歴を伏せたまま、という学歴不問の勇気ある試みをしている企業もあります。とても良いことだと思います」とも述べている。

ついでに、性別、年齢、容姿、風貌も伏せたままにするのはどうか。互いが見えないように仕切った上で、ボイスフィルターを通して面接するとか。

結局、人間同士が顔を突き合わせて一緒に働く職場に迎える人を、学歴も含めて個性に関する情報抜きに「客観的」に判定するのは無理だろう。

(参考)
『採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (1)』
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-cc01.html

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2009年3月22日 (日)

採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (2) 第二種過誤編

就活を行なう側が、「敵情視察」に好適な本として、

新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書) Book 新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書)

著者:樋口弘和
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

を前回紹介した。

ただ、ズブズブに理系の立場から、本書の内容に関していくつか質問したいことがある。

まず、「面接の成功率」という言葉が本書には出てくる。著者御自身は、「ここ数年95%ほどの成功率で安定しています」とアピールしておられる。それが商売だから当然のアピールだろう。

では、「面接の成功率」はどうやって計算しているのか?

採用した人材のうち、期待に適った働きをしている者の比率のことだろうか? (何をもって「期待に適った」と判定するかは気にせずにおこう。)

もしそうなら、理系的にはその計算法に疑問が残る。

面接で落とした人を、仮に採用していたとしよう。その人が、実際に採用して期待に適った働きをしている人のうちの誰かよりもいい働きをできたなら、その面接は「失敗」とすべきではないか。

もちろん、面接で落とした人の働きは評価できない。したがって、面接の成功率は計算不能なのではないか。

つまり本書中の「面接の成功率」は、擬陽性(false positive)には着目しているが、擬陰性(false negative)は無視している。第一種過誤は気にするが、第二種過誤は無視、と言ってもいい。

もう一つ質問がある。

(続)
『採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (3) 東大神話編』
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-0b96.html

『採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (1)』
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-cc01.html

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2009年3月21日 (土)

採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (1)

シューカツ。

シュークリームのカツか? と、トンカツ好きの私はこの言葉を初めて聞いた時思った。この略語が広まったのは割と最近のことだろう。

「就職活動」をわざわざ(?)「就活」と略すほどに、学生生活に占める就職活動の比重がここ10年で大きく高まったということだろう。今や修士課程の学生は、1年生の秋から2年生の夏まで就活に専念しなければならない有様で、マル合教員の頭痛の種となっている。

できるだけ効果的に就活を進めるには、「敵を知る」ことが大切だ。「敵」とは、採用側企業の採用人事担当者のことだ。

そんな敵情を知る上で、次の本は役立つだろう:

新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書) Book 新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書)

著者:樋口弘和
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

著者は、樋口弘和氏。

著者紹介によると、1958年東京生まれ、早大卒業後、横河ヒューレット・パッカード入社、1998年に人事・採用のアウトソーシングとコンサルティングを手掛ける株式会社トライアンフを設立、で、そこの社長をしておられる。

大企業の人事一筋という、ズブズブに理系な者からは想像を絶する人生経験を積んでこられた方だ。

採用される側としては、企業との「マッチング」の重要性、「やりたい仕事」でなく「向いている仕事」を見極める「自己認識力」の重要性。

採用する側としては、「印象面接」ではなく応募者の過去の実績に基づいた客観的評価の重要性、「雑談面接」の重要性。

など、いろいろと参考になることが書き綴られている。

(続)
『採用された企業はなぜ「期待はずれ」なのか (2) 第二種過誤編』
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-fe77.html

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ポスドク (10) 米国への引越し

海外でポスドクをする場合、滞在先は米国か英国というのが圧倒的多数だ。私は米国でポスドクをした。

というわけで私の経験を前回から紹介している。

なお、私が住んだのは、メリーランド州のロックビルというところだ。ワシントンD.C.の北隣り。東京都心をワシントンD.C.の中心街と考えれば、横浜、幕張、和光といった感じの位置にあるところだ。

米国に到着したら、ホテルなどに滞在しながら一刻も早く住む部屋を探さなければならない。

私の場合、ポスドクをする研究室の別のポスドク(オーストリア人)の家(タウンハウス)に2週間ほど滞在させてもらった。が、このようなケースは稀だろう。

まずは、国際運転免許証を使って、レンタカー屋でレンタカーを1ヶ月ほどリースしておくのがよいだろう。歩いて部屋を探し回るのは非現実的だ。それにどのみち、現地で免許証をとって車を買うまでに1か月ほどはかかる。

不動産屋に行って部屋を紹介してもらう。「15分ほどのところにある」と言われて、歩いて行こうとしたらひどい目に遭う。単に「15分」と言われれば、米国では「車で15分」のことだ。

ポスドクの場合、家族連れなら2ベッドルームかタウンハウス、独り者は2ベッドルームを借りることが多いだろう。

勤務先の大学なり研究所なり会社なりから給料をもらうことが証明できる書類と、銀行の預金残高証明などがあれば、大体その場で借りられるだろう。「連帯保証人」など必要ないのが有難い。

メリーランド州のロックビル(Rockville)に私が住んでいたのは10年以上前だ。私は2ベッドルームのアパートの部屋を借りた。なお米国の「アパート」は、日本で言う「マンション」のことだ。

2ベッドルームは、日本で言えば3LDKくらいの広さだろうか。賃料は、月約800ドルだった。都市近郊なので、米国の中でもやや高めだったかもしれない。

ただし米国では、アパートの賃料は電気・ガス・水道料金込みの場合が多い。いくら使っても使わなくても賃料は変わらない。

私が借りたところは、水道料金は込みだったが、電気代は自分で払うタイプだった(ガスはなく、いわゆるオール電化だった)。

このため、水道会社に連絡する必要はなかったが、電気会社(PEPCO)には連絡しなければならなかった。

そういった連絡は全部電話で行なう。もちろん英語でだ。だから、米国に住もうという人は、電話で英会話できないと厳しい。ここが、旅行の場合との大きな違いの一つだろう。

(続)

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2009年3月20日 (金)

ポスドク (9) 海外への引越し

海外への引越しは、国内の引越しとはまた違った苦労と楽しみがある。

会社員として海外に転勤する場合は、その苦労の大部分を会社がやってくれるだろう。しかし、ポスドクの場合は基本的に全部自分でやらなければならない。苦労も多いものの、なかなか得られない経験ではある。

私の場合、10年以上前のことだが、日本から米国に引越した経験と、米国から日本に引越した経験がある。これを紹介したい。海外といっても国によって事情は様々だが、理系ポスドクの場合は米国に引越す人が圧倒的に多いだろう。

まず、荷物の発送。手荷物だけで十分、という人は少ないだろう。私の場合は、日通に荷物の運送を頼んだ。

荷物を発送する段階では送付先(米国での住所)が決まっていないのが普通だ。米国で住むところは、現地に着いた後で探すのだ。住むところが決まるまでは、ホテルか知人のところに泊まることになる。

住所が決まるまで、荷物は現地の倉庫で保管ということになる。住所が決まったら運送会社の海外事務所に連絡して、荷物を届けてもらうのだ。

次に、住民票異動等の手続き。これも普通とは違う。例えば、海外在住中は年金の納付をストップすることができる(少なくとも10年前は)。

また、運転免許センターに行って、国際運転免許証を取得する必要がある。日本の運転免許証をもっていれば、単なる手続きだけですぐに発行される。これは是非とっておかないと、困ったことになる。米国での生活は、車を運転できないと著しく不便だ。非現実的といっていい。現地の免許証をとるまでの間は、この国際運転免許証で乗り切るわけだ。1年間有効だったはず。

いよいよ米国に到着したら、まずは部屋探しだ。

(続く)

コネタマ参加中: 教えて! 引っ越しのエピソード

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2009年3月13日 (金)

誤解される『理系の人々』

先日、『理系の人々』というマンガを読んだ。

そして思った。このマンガが描いているのは、「理系」の人々というよりも、たまたま「理系」と呼ばれる専門分野に進んだ「ちょっとオタク」な人々のことなのだ。私の経験では、オタクな人はいわゆる「理系」にも「文系」にも概ね均等に分布している。

もう一つ。このマンガで主に想定された「理系」の人々は、SE、プログラマに偏っている。しかし、SE、プログラマは、「理系」だろうか?

理系の人々 Book 理系の人々

著者:よしたに
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「理系」の人々への親しみの念から描かれたマンガだから、批判するつもりも怒るつもりも毛頭ない。

ただ、私がこれまで出会った、いわゆる「理系」の人々の中には、このマンガのような人は稀だった。

それは私が生物系だからだろうか。生物系には、むしろ漁師や農民に近い感性の人々が多いと思う。

生物系研究者は生命現象を相手にし、その他の大部分の理系研究者も自然現象を相手にしている。

つまり、自分の思い通りにならない対象を相手に日々を過ごしている。長く真剣に取り組むことにより、ある種の諦観のようなクールな世界観が身に付くのだ。

これに対し、純粋数学系や情報科学系は、人間が頭の中で考え出した抽象概念や形式論理の世界で戯れるのが仕事だ。このため、他の「理系」の人々とはかなり毛色が違ってくる。

はっきり言おう。SE、プログラマは「理系」ではない。「文系」だ。

いや、言い直そう。SE、プログラマを「理系」か「文系」かのどちらかに分類するのは無意味だ。

私はこう定義する。「理系」とは、清く正しく(+貧しく)理詰めで生きる道だ。文系学部の人でも「理系」になれる。

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2009年3月 7日 (土)

アカハラ (4) 「マル合教員」の場合

大学院博士課程で学生を指導する大学教員、いわゆる「マル合教員」は、研究を行なうことこそ自分の仕事と考えている。

それ以外は、学生の教育を含めて「雑用」だ。学生は自分の研究を進めるための「戦力」、というのが本音だ。マル合教員は、教育のための特別な訓練など受けていない。

それがただちに問題とは言えない。少なくとも大学院重点化以前は。

最前線の研究の現場で実戦に参加する以外に、学生が自立した研究者になるための訓練を積む方法はない。よい研究者であることがよい教員であるための必要十分条件だったのだ。

大学院重点化以前は、大学院生と言えばほとんどアカデミックな研究者を目指す人達ばかりだった。ところが大学院重点化により、多様な動機を持つ大学院生が一挙に増えた。

修士課程の大半の学生は今や、有利に就職するための高度な職業訓練を受けることを期待している。これは至極当然の期待だ。

ところが、マル合教員の意識は前時代のままなのだ。新しい時代の学生の意識とはズレている。

加えて、「少子化による定員割れ」の恐怖により、多くの大学は今や実質「受ければ受かる」状態で学生をかき集めている。余程ひどい場合を除き、どこかの大学院が入れてくれる。

余談だが、お薦めは、学部を持たない「大学院大学」、あるいは学部と連続していない大学院研究科だ。学部までのしがらみを断つこともできる。また、大学院入学を機に、よりステータスの高い大学に進むことも簡単だ(例えば、イマイチの大学から「旧帝大」とか。英語圏の外国の大学院もいいかも)。

とにかく、良かれ悪しかれ、正直言って大学院生のレベルが全体的に低下していることは否定できない。与えられた課題に○×式の解答しかしないような大学院生が増えている。

しかも、マル合教員は今、疲れている。「競争的資金」の獲得に忙殺され、「インパクトファクター」なるものを気にしながら論文を量産する必要がある。自分で直接手を下して研究を行なう暇のあるマル合教員など、もともといない。

こうして、少しでも多くの研究成果を上げるべく前時代の意識のまま「鬼軍曹」を気取って学生をシゴキにかかるマル合教員と、しっかりした高等教育を期待する学生の間で、意識のズレが生じている。

「アカハラ」続発の原因の一つはそこにあるのではないか。少なくとも、教員の人格に大きな問題がある場合を除けば。

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2009年3月 6日 (金)

博士の異常な卒業 または私は如何にして心配するのを止めて就職活動をするようになったか

今、卒業シーズン。修士修了後、予定通りぴったり3年で博士の学位をとって、めでたくアカデミックの研究職(たいていはまずポスドクだろう)に就こうとしている新博士はどれだけいるだろうか。。

博士課程(博士後期課程)に進学する人の多くは、博士(Ph.D.)をとった後はアカデミックの世界でやっていきたいと思っているだろう。

しかし、ズブズブに理系に考えられる人ならわかるはずだ。博士号を持っていても、今やアカデミックの世界でやっていける確率は極めて小さい。また、最初の職にうまく就いたとしても、任期制の壁を乗り越えてうまく渡り歩くのは茨の道だ。これは以前に何度か書いた通りだ。

大学院重点化は、大学の先生の肩書を「○○大学×学部教授」から「○○大学大学院×学研究科教授」と無意味にややこしくしただけではない。アカデミックの空きポストの数をはるかに上回る数の博士を生み出しつつあるのだ。

にもかかわらず、少子化により大学のポストが減り続けるのは間違いない。団塊の世代の一斉定年退職により空きポストが増えるかというと、そうでもない。欠員不補充の方針の大学も多いだろう。

簡単に言えば、成り行き上アカデミックの世界に進むことになる場合を除き、デフォールトではコマーシャルの世界(普通の民間企業)への就職を考えておくべきだと思う。

コマーシャルの研究者の能力がアカデミックの研究者より低いということはまったくない。コマーシャルの研究が面白くないということも全然ない。研究成果の社会への役立ち方に違いはあるが、どちらの研究がより有益かということはない。

最も大きな違いは、「先生」と呼ばれるかどうかくらいだ。

他の国では、博士(Ph.D.)が研究職以外の分野で大勢活躍している。ところが日本では、これだけ博士が増えつつあるにもかかわらず、まだ、「博士は特定分野の専門家だから、専門外の領域では使いにくい」と考えられている。専門分野の研究職以外への進路は例外的だ。

これが現状だ。つべこべ言っても仕方ない。博士課程に進む人は、first authorの英語論文を1つ早めに出して3年で学位取得することに集中し、迷わず民間企業の研究職への就職(新卒採用枠での正社員入社)を準備した方がいい。

コマーシャルの道を進むなら、今の日本では、ポスドクはやらずに一刻も早く就職した方がいいだろう。企業での勤務経験がない場合、年を重ねるごとに企業に就職できる確率は減っていき、35歳あたりでゼロに漸近する。

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2009年2月26日 (木)

アカハラ (3)

前回から書いているように、北海道教育大の准教授3人が学生に対するアカハラで諭旨解雇となった事件は、他の大学教員にも大きな衝撃を与えているはずだ。

というのもこの事件は、近年続々と表面化しているアカハラ事例の中でも際立った特徴を有しているからだ。

(1) 被害を受けた学生が少なくとも19人と多人数であること。

つまり、多くのアカハラ事例で見られる、特定の個人に対するイジメとは性質が違っていたということだろう。

(2) 「学生を自分の研究に利用した」ことが責められていること。

この事件は文系の世界の話なので、理系の世界とは少し違うのかもしれない。捉え方にもよるだろうが、理系の大学教員で、「学生を自分の研究に利用」しない人はいない。

自分でしっかりした研究テーマを設定できる学生は例外中の例外だ。学生の研究テーマは、教員が、自分の研究プロジェクトに関連する小さなプロジェクトを設定して与える。学生にとっては、与えられた研究テーマに取り組む中で、自ら研究テーマを設定できるくらいの能力を身に付けることが大きな目標と言ってもいい。

もっとも前回書いたように、北海道教育大のケースには、アカハラというより労働問題(学生指導に名を借りたタダ働きの強要)の要素もあるかもしれない。

(3) 「ノルマを達成できない学生には『意識が低い』と威圧的な発言もした」(時事)ことが責められていること。

少々厳しい教員の中には、そのような発言を日常茶飯に行なう人がたくさんいる。

もっともこのケースでは、4日連続徹夜があったり、9人を体調不良、2人を不登校にするなど、度を越えた非常識なシゴキがあったのだろう。

(4) 大量(3人だが)の教員が一斉に罰を受けたこと。

しかも解雇という厳罰だ。諭旨解雇、懲戒解雇になれば、アカデミックの世界で研究を行なうことは二度とできなくなる。そればかりか、医師免許か薬剤師免許でも持っていない限り、アカデミック外で専門を活かした職につくことすら難しいだろう。

以上の(1)から(3)は、程度の差こそあれ、身に覚えを感じる理系大学教員は相当多いことだろう。

つまりこの事件は、多くの大学教員に、アカハラによる懲戒を身近な恐怖として突きつけるインパクトを持っているのではないだろうか。

弟子をイジメ殺した大相撲の相撲部屋の親方にも似て、閉鎖的な世界の中で野放し状態だった大学の「先生」の行状に、外部の理性的な基準を適用させるいい機会かもしれない。ただし、「冤罪」の危険にも注意を払う必要がある。

古くから続いてきた「アカハラ」が、ようやく最近になって大々的に表面化し始めたのはなぜか? 少子化、大学院重点化、などいろいろな事情が背景で複雑に絡み合っていると思われる。

(続)

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2009年2月23日 (月)

アカハラ (2)

前回書いたように、北海道教育大学の准教授3人が「アカハラ」で諭旨解雇された(3月2日までに退職願が出ない場合、懲戒解雇に切り替え)。この件は、他の大学の教員にも少なからぬ衝撃を持って受け止められているはずだ。これに近い「アカハラ」的行為は、どこの大学でも日常茶飯事だからだ。

そこで、このような「アカハラ」が発生する背景について考えてみたい。

『白い巨塔』ほどエゲツなくはないにせよ、大学が保守的で閉鎖的な世界であることは確かだ。

各教授(あるいは准教授)を頂点とする研究室は、それぞれの運営上の独立性が高い。研究室内の日常的な運営方針(何時から何時まで働くか、学生をどの程度運営に参加させるか、等々)について、外部から干渉されることはまずない。

大学の各研究室は、いわば小さな家族的経営の会社みたいなものだ。教授はその社長。教授より権力の高い人で、日常的に教授の行動をチェックする立場の人は、周りにいない。

学生が研究室に属するのは1年か2年、大学院までいれても数年。少々変な教授でも、ちょっと我慢しようか、という場合も多い。

学部生が大学院の修士課程あるいは博士後期過程に入学できるかどうかは、最終的に指導教員である教授の意志に依存している。もちろん学科試験はあるわけだが、それは一次選考だ。一次選考に通った学生を最終的に入学させるかどうかは、教授がその学生を「責任を持って指導します」と意思表示するかどうかによる。

さらに、研究室の学生がアカデミックの世界の研究者としてうまくスタートできるかどうかは、大学院時代の指導教員に気に入られるかどうかに大きく依存する場合が多い。これについては別に書いた。
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-b3c6.html
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e75f.html
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-25ea.html

以上のようなわけで、教授は、好き放題にやろうと思えばやれるわけだ。研究室内の「労務」方針がマトモかどうかは、教授の個人的良心に依存している。

しかしこの状況が、「少子化」によって変わりつつある。

管理部門の職員の中には、「学生=お客様、教員=サービスプロバイダー」と捉える人さえ現れ始めているのだ。

(続)

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2009年2月22日 (日)

アカハラ (1)

赤腹?

いや、アカハラだ。アカデミック・ハラスメント。

要するに、大学教員から学生へのパワー・ハラスメント(パワハラ)のことだ。稀に、上司である教員から部下の教職員へのパワハラのこともアカハラと呼ぶこともあるだろう。

教員が、単位・成績・卒業認定などに関する権力的な地位を利用して、自分の都合のいいことを行なうように学生に無茶な要求をする。

それを学生が嫌がらせと感じ、学内外のしかるべき機関(「アカハラ防止委員会」など)がそれを察知したら、アカハラ成立だ。

2月20日、21日の各紙の報道によると、北海道教育大学の准教授3人が「アカハラ」で諭旨解雇されたという(3月2日までに退職願が出ない場合、懲戒解雇に切り替え):
時事 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009022000999
読売 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090220-OYT1T01220.htm
朝日 http://www.asahi.com/national/update/0220/TKY200902200259.html
産経 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090220/crm0902201859035-n1.htm
毎日 http://mainichi.jp/hokkaido/news/20090221ddlk01040295000c.html
神戸 http://www.kobe-np.co.jp/knews/0001713295.shtml
(なお、セクハラで懲戒解雇の准教授1名は、この際別問題として無視しよう。問題外に問題だからだ。)

専門の語学辞書の編纂などのために学生を動員して無茶に働かせたようだ。

働かせた学生が学部生だったのか、修士の学生だったのかはわからない。北海道教育大には博士課程(博士後期過程)はないようだから、修士だったとしても学部生とあまり変わらない立場(研究というより、もっぱら標準的知識・技能の学習を主眼とする立場)かもしれない。

いずれにせよ余程ひどい事情があったのだろう。

体を壊すほど学生を働かせて、しかも外部からの改善要求も無視していたとすれば、大きな問題だ。懲戒解雇もやむを得ないだろう。

辞書の編纂となると、それに関わることは確かに学生にとっていい経験になるとは言え、基本的に教員が請け負った仕事のはずだ。教員の業績となるのみならず、原稿料なり印税が教員に支払われる。

アルバイトではなかったようだから、そのお金の一部が学生に支払われることはないだろう。そればかりか、辞書であれば、学生個々人に対する謝辞(Acknowledgments)が記されることすらないだろう。

だからこの北海道教育大のケースは、単なるアカハラではなく、労働問題でもあったのかもしれない。

しかしいずれにせよ、この北海道教育大の事件に関する報道は、他の大学の教員にも少なからぬ衝撃を持って受け止められているはずだ。これに近い「アカハラ」的行為は、どこの大学でも日常茶飯事だからだ。

問題がややこしくなるのは、「教育的指導」か「アカハラ」か、グレーゾーンにある場合だ。

これについて考えてみたい。

(続)

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2009年2月 8日 (日)

ポスドク (8) 英文履歴書 (CV)

ポスドクを海外でやろうという場合、英文の履歴書(CV)を作成して送らなければならない。

英文の履歴書のフォーマットは大体決まっている。ポスドク応募に限らず、あらゆる職種への応募に共通だ。下に、私が過去に作成して実際に使用した履歴書のパターンを例として示す(内容は変えてある)。

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【英文履歴書サンプル】

CURRICULUM VITAE

NAME: Machio Higashiooi

HOME ADDRESS:
1-2-3-401 Nihonnomachi,
Shinagawa-ku, Kawasaki,
Kanagawa 123-4567, Japan.

Phone: +81-12-3456-7890
Email: machio@yahhoooo.co.jp

OFFICE ADDRESS:
Drug Discovery Research Institute
Japanese Pharmaceutical Company Ltd.
1-2-3 Nihonnomachi, Shinagawa-ku, Kawasaki,
Kanagawa 123-0000, Japan.

Phone: +81-23-4567-8901

Fax: +81-23-4567-9012
Email: higashiooi@japanesepharmaceuticalcompany.co.jp

DATE OF BIRTH: 23 January 1979

NATIONALITY: Japanese

EDUCATION:
Ph.D. in Biophysics, Some Japanese University, January 2006
M.S. in Biophysics, Some Japanese University, March 2003
B.S. in Biophysics, Some Japanese University, March 2001

EXPERIENCE:
Research Scientist April 2007 to present
Drug Discovery Research Institute,
Japanese Pharmaceutical Company Ltd., Kanagawa, Japan.
Computer-aided drug design.
Protein structure prediction and modeling.
Protein/DNA database analysis.


Research Scientist April 2006 to March 2007
Chem/Bioinformatics Department,
Japanese Pharmaceutical Company Ltd., Kanagawa, Japan.
Computer-aided drug design.
Cheminformatic and Bioinformatic analysis
.

SKILLS:
Computer Languages -
Fluent in C, C++, Java, Fortran, Perl, Python, VBA, HTML.
Working experience in UNIX system and network administration.

LANGUAGES:
English - Fluent (earned 885 for TOEIC, 1996).
Japanese - Native speaker.

REFERENCES: Available upon request.

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英文履歴書の場合、パソコンで履歴書原稿を作成し、普通のA4用紙にプリントアウトすればよい。写真を貼る必要もない(いや、貼ってはいけない)。印鑑を押す必要もサインをする必要もない。市販の履歴書用紙に手書きで記入して印鑑を押す、というのは日本だけではないだろうか。

EXPERIENCEのところには、職務経歴を簡潔に記す。博士号(Ph.D.)とりたての人の場合は書くことがないかもしれない。もし実習助手とか教育助手のような人様の役に立つ活動をした経歴があれば書くとよい。この例では、博士取得後、会社に就職し、そこを退職してポスドクに応募しようとしている人を想定している。

EDUCATION(学歴)とEXPERIENCE(職務経歴)は、年代の新しい順に項目を並べている。日本の履歴書のように年代の古い順に並べるパターンもあるが、この例のように新しい順にするほうが一般的だ。

職務経歴を記す時は、身分(job title)、所属、職務内容、期間を簡潔に記す。なお、「研究員」は、英語で言えば「Research Scientist」だ。よく「研究員」という身分を「Researcher」と訳す人がいるが、アメリカで「Researcher」というtitleがPh.D.を持つ理系研究員に対して用いられているのを、私は聞いたことがない。「Researcher」と言うと、むしろ「調査員」を思わせるのではないだろうか。

REFERENCES(照会先)とは、要するに、推薦状を書いてくれるような人のことだ。誰に推薦状を書いてもらうかについては、以前に書いた(注、2009年1月18日記事『ポスドク (4) 推薦状』)。自分のこれまでの研究歴、職歴についての問合せに答えてくれる人(格上の研究者、上司、等)2,3名の連絡先を記す。照会先を記すように応募先から特に指定されていない場合は、この例のように、「Available upon request」としておけばよい。照会先を記す時は、照会先になってもらう人達の了解をあらかじめ得ておく必要がある。

なお、学歴のところの、「M.S.」は「Master of Science(理学修士)」、「B.S」は「Bachelor of Science(理学士)」の略だ。理学部以外を卒業した人はそれぞれの学部に合わせて「S.」のところを変えればよい。「M.S.」のように略す必要は必ずしもない。略す場合は、英語で一般的に通じる場合に限ることだ(MBAなど)。最近は変な名前の学部も多いが、学部名を英語に直訳して頭文字をつないで略語を作っても、第三者には何のことかわからない。

「博士」は、どの学部出身であろうとすべて「Ph.D. (Doctor of Philosophy)」だ(別項、「Ph.D. (ピーエイチディー)」参照)。医師免許を持っている人は「M.D. (Doctor of Medicine, Medical Doctor)」と記し、加えて博士(医学)を持っていれば「Ph.D.」と付け加える。「M.D.」は「医学博士」ではなく、免許を持った「医師」のことなので、くれぐれも間違えないように注意が必要だ。

電話番号の先頭に「+81」とあるが、これは日本の電話の国番号(country code)だ。

ポスドクに応募するような駆け出し研究者の履歴書(CV)は、A4用紙1枚にまとめるのがベストだ。ただし、中堅以降の研究者で、職歴がたくさんあるような人の場合は、2,3枚になっても仕方ない。

__________
(注) 2009年1月18日記事 『ポスドク (4) 推薦状』 http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-b3c6.html

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2009年1月27日 (火)

ポスドク (7) 「雇い止め」

任期制の職でも、予算があるうちは何回か任期が延長される場合もあるだろう。しかし、それで安心してしまって次の職探しを怠っていると、後で慌てることになる。

任期の切れる半年から1年くらい前のある時、「次の任期の延長はありません」と突然告げられることになるだろう。業績が悪いとか、勤務態度が悪いとか、そういうことは関係ない。予算上の都合なのだ。

慌てて職探しを始めるものの、公募の実態は先に書いた通り。宝くじと同じくらいの当たり確率ではないか?と思えるようなものだ。そうこうしているうちに任期切れの日は刻々と近づいてくる。

そして任期切れ。

それで放り出されても、「解雇」(クビ)ではない。「雇い止め」だ。履歴書には「任期満了により退職」と書ける。自分が悪いわけではない、と主張できるのだ。これは一種の救いとも言えようか。逆に言うと、「不当解雇反対!」と居直ることもできないわけだが。。

任期制の職にある以上、常日頃から次の職に移る機会を探しておかなければならない。できるだけ任期満了になる前に、見つかり次第さっさと次の職に移る用意をしておくべきだ。

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2009年1月24日 (土)

ポスドク (6) ポスト・ポスドクの憂鬱…任期制職員

晴れてポスドクになっても、問題はポスドクを終えた後だ。ポスドクをやるような人はほとんど、アカデミックの世界でドーンと活躍してやろうと考えていることだろう。

最近は、新規採用されるアカデミックの研究職は、ほぼもれなく「任期制」となっている。例の研究者人材データベース『JREC-IN』(http://jrecin.jst.go.jp/)を見ればわかる。

「公募の憂鬱」を突破して職にありついても、何年か後にはまた、次の公募の憂鬱を覚悟しなければならないわけだ。そしてそれが、定年近くになるまでずっと続く。任期は1年、3年、5年を単位とする場合が多いようだ。複数年の場合も、1年単位の契約更新となる場合が多いことだろう。

「任期が切れたからと言ってバッサリ切られることはないだろう」、と思ってはいけない。本当にバッサリ切られる。あっさりサヨナラだ。退職金もない。

リスクを低める方法はある。

一つは、有力な先生との強いコネを保つことだ。子分かパシリみたいになるのが一番だ。まっとうな親分なら、きっと職の世話をしてくれることだろう。

悪い噂を立てられたり、変な敵を作らないように細心の注意を払うことも重要だ。研究職の採用には、学会内での「評判」が絶大な影響を及ぼす。事実無根の悪い噂でも、一度立てられてしまったら相当のダメージを受ける。学会内には、ネットの匿名書き込みを素直に信じる無垢な人達も多いのだ。どんなに時間の無駄に思われる学会の集まり、シンポジウム、セミナー等にも足繁く通い、仲のいい研究者を増やしておくことが必要だ。

論文をできるだけ大量生産しておくことも必要だ。イマイチな内容でも、査読つきの英文誌に受理されればそれでよい。ポスドクなら、筆頭著者(first author)の論文が多くないといけない。その上で、できるだけ他人の研究に協力して、共著論文を量産する。

このように、「理系」とは無関係のことに多くのエネルギーを使う必要がある。が、「それも研究者としての能力のうち」、と言われればそれまでなのだ。

私は、この現実は研究者にとって不当に厳し過ぎると思う。いい研究成果を出してもらう上でもマイナスと思うのだが。

でもまあいい。アカデミックの研究職にそれほど強い執着がなければ、アカデミックでない職を探すまでだ。その方が世のため人のためになる仕事ができる可能性も高いし。。

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2009年1月20日 (火)

ポスドク (5) 公募の憂鬱

近年、アカデミックなポストに研究者を採用する時は、おしなべて「公募」することとなっている。

研究者の流動性を高める、人事の公平性・公開性・開放性を高める、などが理由だ。ポスドクの応募先も、個人的に苦労して探さずとも、日本国内であれば公募で見つかることが多いだろう。

こういった公募の情報は、学術誌や学会誌の後ろの方のページにある公募情報の欄や、各研究機関のWebページなどでも得られるが、決定版は、科学技術振興機構(JST)の研究者人材データベース『JREC-IN』だろう。URLは、http://jrecin.jst.go.jp/ だ。

このJREC-INを見れば、「こんなにも多くの研究職が公募されているのか!」と驚くことだろう。

残念ながら、ここに並ぶ「公募」の大部分では、有力な候補者(本命)は既に内々に決まっているはずだ。「本命」になる人には、採用する側から直接声をかけて、公募に「応募」してもらうのだ。いわば出来レースだ。にもかかわらず公募の体裁はとらなければならないから、こういう「公募情報」として公開されているのだ。

それが一概に悪いこととは言えないが、有力なコネを持たない者にとっては憂鬱なことだ。もちろん、本命が100%確実に採用されるというわけではないが、客観的な点数など付けようもない以上、本命が落とされることはまずないだろう。

幸いと言うべきか、ポスドクレベルのポジションであれば、本当に公募(本命のない公募)のことも多い。特に、理化学研究所などのように、大学でない公的研究機関のポスドクは本当に公募されることが多いように思う。ポスドク志望者は要チェックだ。

ただし問題は、ポスドクの任期を終えた後なのだが。。

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2009年1月18日 (日)

ポスドク (4) 推薦状

ポスドクに限らず、アカデミックな研究職のポストに応募する時には必ず、2通程度の「推薦状」を提出しなければならなくなる。

誰に推薦状を書いてもらうかというと、お世話になった(なっている)指導教員、恩師など、日頃懇意にしていて自分の研究内容をある程度理解しているような知り合いの研究者に頼むのだ。

現在の指導教員、あるいは近い過去に指導教員だった人に推薦状を頼んで断られることはまずない。断られるとすれば、余程嫌われてしまった場合だろう。いずれにせよ、いつでも推薦状を書いてくれるような関係の格上の研究者を、少なくとも2、3名は持っておくように注意しなければならない。

研究者としての礼儀上、余程の合理的理由がない限り、頼まれた推薦状は書くものだ。頼まれる立場の人もまた、そうやって誰かのお世話になってきたのだ。だから、推薦状を依頼する時に遠慮する必要はない。ただし、研究者はすべて「忙しい」ので、十分な時間の余裕を持って、できるだけ早目に頼むべきだ。

依頼する時には、応募しようとしているポストの概要(どういう研究室のどういう身分か)を伝えなければならない。また、いくら懇意にしている先生であっても、自分の略歴、業績目録、応募に際してアピールしたいこと、くらいはあらためて文書なりメールなりで伝えておくべきだ。

推薦状の内容を、推薦される本人が見ることはできない(少なくとも原則としては)。封筒に入れて封をされた状態で渡される。しかし、内容には定型的なパターン(構成と内容)がある。次のようなものだ:

  1. まず、推薦される人(応募者)と自分(推薦者)との関係(いつどのように知り合って、どのような関係にあるのか)を記す。要するに、自分が推薦状を書くに足る立場にあることを示すわけだ。
  2. 応募者のこれまでの研究業績、研究歴の概要を簡潔に記す。これによって、応募者の研究内容を理解している(自分が推薦者として適格である)ことをさらに示すとともに、応募者が優れた実績を挙げていることをアピールしてあげる。
  3. 応募者の人となりを記す。研究内容自体だけでなく、研究室の運営に積極的に関わったとか、後輩の面倒をよく見たとか、要するに、この人を採用すれば採用する側にプラスになると思われることをアピールしてあげる。
  4. 稀に、応募者のマイナス面も記す。これを書くことはまずない。しかし、2や3であまりにも応募者を褒めちぎり過ぎて、推薦状自体の信憑性が疑われるほどになった場合は、バランスをとって客観性・公平性をアピールする意味で、今後改善が期待される点を若干記すことはあり得る(「研究熱心のあまり○○」、とか)。しかしあくまで、採用にマイナスにならない範囲でだ。
  5. 以上から、応募者がこのポストにふさわしいということを結論付け、心から推薦する旨の言葉で結ぶ。

この構成と内容は、不文律と言っていいくらいに決まっている。あとは、応募者から渡された応募者固有の情報をこのパターンの中に当てはめれば、推薦状が完成するわけだ。推薦状は、A4用紙1枚にまとめるのが通常だ。

要するに、仮に「イマイチな奴だな」と思っていても、応募者のマイナスになるようなことは書かない。それが理系研究者の礼儀なのだ。

つまり、推薦状の内容自体は、さほど意味がないとも言える。応募者が、しっかりした地位にある研究者の何人かと、推薦状を書いてもらえるような良好な関係にあるとアピールすることに意味があるのだ。

アカデミックな研究者の道を進む限り、最終的な終身雇用のポスト(教授とか主任研究員とか)に辿り着くまでは、推薦状を書いてもらう身分を脱することはない。

アカデミックな研究職で生きていくには、人間関係が意外なほど重要なのであった。。

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2009年1月14日 (水)

ポスドク (3) 海を渡ろう

最近は、海外でポスドクをする人が減っているようだ。

理由の一つとして、日本国内でふさわしい研究室が見つかりやすくなったということがあるかもしれない。外国から日本にポスドクに来る人も増えている。これは歓迎すべきことだ。

しかし、せっかく身軽な時期。ここは一つ、ポスドク先の選択肢を日本国内に限定せずに考えたい。

海外でポスドクとなると、分野にもよるが、やはりアメリカかイギリスが多くなるだろう。私のような生命科学研究者の場合、圧倒的にアメリカ、イギリスが多い。国全体としての研究レベルが優れているということはもとより、日常言語が英語ですむということもあるだろう。

一昔前は、日本のポスドクは大歓迎されていたようだ。とにかく勤勉に黙々とよく働くから。ところが知り合いの研究者達によると、最近、海外での日本のポスドクの評判はいまひとつらしい。前ほどよく働かないという。

汚名挽回。是非、積極的に海外でポスドクをしようという人が増えることを望む。1年でも2年でも、海外に住んで、そこの研究室で働けば、100回海外出張しても得られないような経験と自信が得られることは間違いない。

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2009年1月12日 (月)

ポスドク (2) 受け入れ先を見つける

Ph.D.(博士号)をとって次にポスドクを始めるには、まず受け入れ先の研究室を見つけなければならない。

博士号をとった研究室でそのまま続けてしばらくポスドクとして過ごす場合もあるだろう。その場合でも、機会を見つけて他の研究室(できればアメリカかヨーロッパの研究室)のポスドクを経験した方がいい。

他の研究室でポスドクをするには、まず研究室の指導教員に相談して、受け入れ先を紹介してもらうのがよい。これが最も賢明かつ簡単・確実だ。指導教員は、多少とも個人的に付き合いのある研究者の中から、ポスドクを受け入れてくれそうな人を選んで紹介してくれるだろう。

何らかの事情があって自分で受け入れ先を見つける必要がある場合は、学会を利用して他の研究室の先生と知り合いになっておくのがよい。学会にただ参加するだけではいけない。必ず研究発表をして、他の研究室の先生に聞いてもらい、多少とも興味を持ってもらわないと話が始まらない。さらに加えて、できれば専門誌に論文をいくつか発表して、その別刷を送付(「謹呈」)しておきたいところだ。

私の場合は、アメリカで開かれたシンポジウムで口頭発表をしたときに知り合いになった先生に個人的に話をつけた。ただし、その前に専門誌に論文をいくつか発表していたので、名前だけは既に知ってもらっていたようだ。

博士課程の指導教員に紹介してもらうにせよ、自分で探すにせよ、ポスドクとして歓迎して受け入れてもらうには、学会発表・論文発表を通して名前を売り込んでおくのが一番だ。

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2009年1月 9日 (金)

ポスドク (1)

ちょうど10年前の1月、私は米国での2年間のポスドク生活を終えて、日本に帰国する準備をしていた。。

本格的な研究職をめざす人なら通常、博士号(Ph.D.)をとってから2年~数年程度、「ポスドク」生活を送ることになる。ポスドク(postdoctoral fellow; postdoc)は、任期付きで給料もあまり高くない。私の場合、米国の National Institutes of Health (NIH) (米国立衛生研究所)というところでポスドクをしたが、2年単位の任期で、給与は年間ぴったり3万ドルだった。

その代わり、所属機関の運営に関わる雑用がないので、研究に専念できる。実際どこの研究室でも、ポスドクは最もコストパフォーマンスのいい戦力として期待されている。ここでしっかりと研究成果を出しておくことが重要だ。

そうやって研究三昧の生活を送りながら、どこかの大学の助手(今の「助教」)なり、研究機関の研究職員なりのポストが見つかるのを待つわけだ。

しかし最近の日本では、ポスドクを経て、さらに本格的な研究職(特にアカデミックでの研究職)の道を進んでいくことは、著しく厳しいものとなっている。研究職を目指してポスドクを始めようという人は、よくよく考えて決意を固めておく方がいい。「理系」の道は、アカデミックな研究職でなくても追求できるのだし。。。

(続)

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2009年1月 7日 (水)

Ph.D. (ピーエイチディー)

理系の研究者になりたい場合は、何としてもPh.D.(博士号)を取っておく必要がある。このPh.D.がないと、研究者として扱ってもらえない(特に外国では)。医師免許などと同様の一種の「資格」と見なされているのだ。

(日本企業の研究部門で終身雇用される研究員には修士卒の人も多い。入社してからその会社に適した研究者として育て上げるということなのだろう。)

ところでこの、Ph.D.(ピーエイチディー)。Doctor of Philosophyの略。しかしそのようにスペルアウトされることはまずない。「哲学博士」と逐語訳する人もいるようだが、それは大変奇妙な日本語訳だ。決して「哲学」を専攻しているわけではない。

昔、英国人の同僚研究者にこの「Doctor of Philosophy」の「Philosophy」の由来を聞いたところ、中世とかルネサンスとかの昔のヨーロッパでは科学やその類の研究を全部ひっくるめてそう呼んでいたからじゃないか、というような答えだった。

要は、日本での理学・工学・薬学・医学・農学・文学等々、何であれ博士号は英語で言えば「Ph.D.」だ。国によって学位制度に違いがあるが、私の知る限り、英語でコミュニケートする場合には国際的に必ずこの「Ph.D.」が使われている。

たまに日本の人で、例えば「理学博士」(最近は博士(理学))を「Doctor of Science」と、これまた妙に逐語訳する人がいるが、これは国際的には通じない。まともな「博士」と思ってもらえない危険が大なので注意が必要だ。

専攻分野を示す場合は、例えば、「Ph.D. in Biochemistry」などとなる。私は、Ph.D. in Biophysicsだ。

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