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2009年1月の30件の記事

2009年1月31日 (土)

七味唐辛子、紅生姜、狂牛病

コネタマ参加中: これをかけるだけで旨くなる

牛丼を食う時は、以前なら吉野家に行っていた。

が、何年か前の「狂牛病」騒動の時にアメリカ産牛肉の輸入がストップして吉野家で牛丼が食えなくなったのをきっかけに、最近はもっぱら松屋だ。

松屋の牛丼は、大量の七味唐辛子と紅生姜をかけ、よくかき混ぜてから食うとうまい。最近のお気に入りだ。

それにしてもあのアメリカ産牛肉の輸入ストップは何だったのだろう。「食の安全」を守るのが大切なのはわかる。しかしあの時期、アメリカに行った日本人旅行客の多くは、アメリカで平気でガツガツ牛肉を食っていたのではないだろうか? アメリカに行って食うのは平気だが、輸入して日本で食うとなると気になったのだろうか。要するに、気分的な問題だったのだろうか。そもそも日本の牛にも狂牛病は発生しているのだから、アメリカ産だけでなく国産牛も同様に全面販売禁止にするべきだったのではないのか。

それ以前に、「狂牛病」に相当する病気、つまり異常プリオンタンパク質が原因となる病気は、牛だけじゃなく、羊にも豚にも人間にもある。多分、鳥にもあるだろう。むしろ羊の「スクレイピー」の方がもともと有名だったと思うのだが、あの時期、ジンギスカン料理が流行したのは一種のブラックジョークか。

要するに、吉野家で牛丼が食えなくなるくらいに病気が気になるのなら、いっそ肉食を全面禁止して一億総菜食主義者になる方が筋が通っているのではないか。

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横審・相撲協会が教える日本の「伝統文化」

横審・相撲協会・マスコミ一体となった朝青龍へのイジメが過熱している。「相撲は単なるスポーツではなく日本の伝統文化」「神事」なのに、「朝青龍がそれを壊している」らしい。

では、今年の初場所が始まる前から、相撲関係者・マスコミ・ファンが繰り広げたあの陰湿な騒ぎは何だったのだろう。

朝青龍が負ける姿を今か今かと待ち望む暗い気持ちが露骨に見て取れた。「負けが込めば引退だ」と、朝青龍に精神的プレッシャーをかけ続けた。元力士のNHK解説者などは、芸能マスコミさながらに付き纏って、自分が悪者にならないように注意を払った嫌らしい婉曲表現で嫌がらせをしていた。

これが、これから「伝統文化」「神事」の本番に取り組もうとしている当事者に対してとるべき態度だろうか? そんな態度を取っている時点で、相撲が「伝統文化」「神事」であることを自ら否定しているようなものだ。相撲を、ほぼ裸体の太ったチョンマゲ男達によるレトロなコスプレ格闘技へと自ら貶めるものではないだろうか。

猛烈なプレッシャーと嫌がらせの中、朝青龍は驚異的な集中力を見せて連勝し続け、最後には優勝決定戦で白鵬に勝った。優勝決定戦を制した時の、屈託のない素直な笑顔が本当に素晴らしかった。私は特に朝青龍ファンではないのだが、それでもあの笑顔を見て、なぜか私まで嬉しくなった。

相撲の「礼儀作法」に則りながら、その枠内で十分に抑制された感情表現だったと思う。狂った観客が投げつけた座布団が顔に当たっても表情一つ変えていなかった。それなのに・・・

「あの『ガッツポーズ』に品格がない」と横審・相撲協会がイチャモンをつけはじめた。

耳を疑った。あのシチュエーションであの程度の感情表現が許容されないとは。。しかも、毎日勝つ度にガッツポーズをしていたわけではなく、最後の最後、あのシチュエーションで、観客の声援に応えて自然に出たものだ。

日本の「伝統文化」はそんなに余裕のないものだったのか?

しかも、「伝統文化」「神事」のファンの中には、朝青龍を擁護する意見を述べる人達を「国賊」呼ばわりする者まで現れ始めたようだ。これはもう、戦中の軍国主義者による「非国民」のレッテル貼りと同レベルだ。

結局、横綱審議委員会委員の脚本家・漫画家・映画監督・歌舞伎俳優達が空想し、守ろうとしている「日本の伝統文化」とは何なのだろう。

これまでの観察によるとこうだ:

  1. 第三者を介しての陰湿なパワハラ
  2. 「伝統」を隠れ蓑にした差別・排外主義
  3. 小姑根性

素晴らしい「伝統文化」だ。

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2009年1月30日 (金)

When the levee breaks

コネタマ参加中: 聴くと気合が入る曲を教えて!

Led Zeppelinのアルバム『Ⅳ』の最後の曲『When the levee breaks』。大学生の頃は、これを聴いて気合いを入れることが多かったような。

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Led Zeppelinの魅力の一つは、四人がそれぞれ好き放題にソロ演奏しながら全体として一つの曲としてまとまっている感じなところと思う。

Jimmy Pageのギター、John Bonhamのドラム、John Paul Jonesのベースは、どう聴いてもRobert Plantのヴォーカルの伴奏をしている感じではない。それによって独特の存在感のある曲が作り出されているのだと思う。(確か、渋谷陽一さんが同じようなことを書いていたと思う。)

ちなみに、Led Zeppelinは日本では「レッド・ツェッペリン」と発音されることが多いと思う。「Zeppelin」はドイツの人名(飛行船の設計で有名なドイツの伯爵)で、「ツェッペリン」はドイツ語読み(を日本語で表記したもの)だ。

しかし、Led Zeppelinはイギリスのグループで、「Zeppelin」を英語として読むと「ゼッペリン」となる。私のイギリス人の友人も、「ゼッペリン」と読んでいた。

「Zepp東京」の「Zepp」は「Zeppelin」の「Zepp」だ。これも「ゼップ」と英語読みされている。Led Zeppelinもファンからは「Zepp」と呼ばれているが、その場合は概ね「ツェップ」とドイツ語読みされていると思う(少なくとも私の年代の人達からは)。

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2009年1月29日 (木)

ジャイアントロボは本当に「マッシ」と言っていたのか

コネタマ参加中: あなたを熱くさせたロボットアニメは?

アニメではないが特撮の『ジャイアントロボ』は、四十年程前、幼稚園児の私に強烈なインパクトを与えた。

マイスタージンガーが歌うあのものものしい雰囲気のオープニング曲。レコードも持っていた。

大作少年の指令を受けると、「ォ!」とエコーがかかった重低音の声で応えて、メガトンパンチ。あれは「マッシ」と言っていたらしいが、そうは聞こえなかった。

小学校低学年の頃にかけて、夕方の時間帯に何度も何度も再放送をやっていて、繰り返し見た。

無骨で無愛想で、厳しい顔のまま表情を一切変えない、そんなジャイアントロボがカッコよかった。

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2009年1月28日 (水)

糸色望

コネタマ参加中: ドラマ化してほしいマンガはどれ?

『さよなら絶望先生』。

マンガ好きの麻生さんなら出演してくれるかもしれない。

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2009年1月27日 (火)

ポスドク (7) 「雇い止め」

任期制の職でも、予算があるうちは何回か任期が延長される場合もあるだろう。しかし、それで安心してしまって次の職探しを怠っていると、後で慌てることになる。

任期の切れる半年から1年くらい前のある時、「次の任期の延長はありません」と突然告げられることになるだろう。業績が悪いとか、勤務態度が悪いとか、そういうことは関係ない。予算上の都合なのだ。

慌てて職探しを始めるものの、公募の実態は先に書いた通り。宝くじと同じくらいの当たり確率ではないか?と思えるようなものだ。そうこうしているうちに任期切れの日は刻々と近づいてくる。

そして任期切れ。

それで放り出されても、「解雇」(クビ)ではない。「雇い止め」だ。履歴書には「任期満了により退職」と書ける。自分が悪いわけではない、と主張できるのだ。これは一種の救いとも言えようか。逆に言うと、「不当解雇反対!」と居直ることもできないわけだが。。

任期制の職にある以上、常日頃から次の職に移る機会を探しておかなければならない。できるだけ任期満了になる前に、見つかり次第さっさと次の職に移る用意をしておくべきだ。

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2009年1月25日 (日)

他人の「品格」をとやかく言う前に、自分の「品格」を磨きなさい

アメリカ行きの飛行機の中でたまたま朝青龍と席が隣になったという知り合いから、以前に話を聞いたことがある。朝青龍は、マスメディアが伝える姿とは違って、ものすごく好青年だったらしい。ただ、日本語がやはり不自由なので、どうしてもうまく想いが伝えられないのだ、と言っていたそうだ。

マスコミは朝青龍が何か「失態」を起こすのを今か今かと待っている。つけいる隙があろうものなら針小棒大に報道する。読者・視聴者の受けがいいからなのだろう。他人の不幸を喜ぶ人、他人を責めることに快感を覚える人は、想像を絶する程に多いのだ。

「横綱の品格」? 「国家の品格」、「女性の品格」、何とかの品格。。

最近よく「品格」という言葉を聞くが、大抵の場合この言葉は、自分が感情的に気に入らない人を非難することを正当化するために利用されている。

他人に「品格」を問う人は、余程自分の「品格」に自信がなければならないだろう。だが、臆面もなく「品格」という言葉を口にする人など、胡散臭くて仕方がない。少なくとも、「人の不幸は蜜の味」を信条とする人達に品格があるとすれば、それは何の品格だろうか?

他人の「品格」を問いたいなら、その前に自分の「品格」を磨くべし。そして、他人の「品格」を問えるほど自分の「品格」を向上させようと本気で努力するならば、他人の「品格」を非難しようなどという暗い気持ちを持つことはなくなるに違いない。

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ミュンヘンへの道

コネタマ参加中: 思い出の“スポ根マンガ”は何?

思い出の”スポ根マンガ”は何?

もちろんズバリ、『ミュンヘンへの道』だ。

あ、これマンガじゃないか。。

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「六本木ヒルズの呪い」の検証

「六本木ヒルズの呪い」という都市伝説が話題になっている(私の周囲では)。

六本木ヒルズに入居した企業にはいろいろと不幸なことが起こりやすい、というのだ。倒産したり、業績が傾いたり、不正が発覚して経営陣が逮捕されたり、、、等々。

そしてその原因は、霊の通り道にあるからとか、周辺の墓地との位置関係がどうのこうのとか、、、云々。

しかしそれは完全に間違っている。

六本木ヒルズには、もともとプチブル成金的な危なっかしい会社が多く集まってきたため、その必然的結果として、不幸になる事例が六本木ヒルズで多く生じるように見えただけだ。

これは、少し論理的に考えればすぐに辿り着く結論だ。

あえてスピリチュアル風に言うなら、六本木ヒルズ自体が呪われていたのではなく、もとから呪われていたような人達が多く集まっていただけ、ということになるだろう。それこそ「六本木ヒルズの呪い」、と言えなくもないが。

もっとも、そもそも六本木ヒルズで「不幸」な事例が本当に多かったと言えるのかどうか、統計的に検証したわけではない。

あくまで論理上の話だ。

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「続・『六本木ヒルズの呪い』の検証」もどうぞ↓
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-f738.html

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2009年1月24日 (土)

せんとくんとまんとくん、どっちに生まれ変わりたい?

コネタマ参加中: 男と女どっちに生まれ変わりたい?

男と女、どっちに生まれ変わりたい?

そんなことより、せんとくんとまんとくんのどっちに生まれ変わりたい?ということの方が重要だ。なーむくんはこの際問題外だ。

私はもちろん断然、せんとくん!

プチブル小市民的なまんとくんより、人から不条理な罵声を浴びながらも前衛としての道を黙々と進むせんとくんの生き方を見習いたい。

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ポスドク (6) ポスト・ポスドクの憂鬱…任期制職員

晴れてポスドクになっても、問題はポスドクを終えた後だ。ポスドクをやるような人はほとんど、アカデミックの世界でドーンと活躍してやろうと考えていることだろう。

最近は、新規採用されるアカデミックの研究職は、ほぼもれなく「任期制」となっている。例の研究者人材データベース『JREC-IN』(http://jrecin.jst.go.jp/)を見ればわかる。

「公募の憂鬱」を突破して職にありついても、何年か後にはまた、次の公募の憂鬱を覚悟しなければならないわけだ。そしてそれが、定年近くになるまでずっと続く。任期は1年、3年、5年を単位とする場合が多いようだ。複数年の場合も、1年単位の契約更新となる場合が多いことだろう。

「任期が切れたからと言ってバッサリ切られることはないだろう」、と思ってはいけない。本当にバッサリ切られる。あっさりサヨナラだ。退職金もない。

リスクを低める方法はある。

一つは、有力な先生との強いコネを保つことだ。子分かパシリみたいになるのが一番だ。まっとうな親分なら、きっと職の世話をしてくれることだろう。

悪い噂を立てられたり、変な敵を作らないように細心の注意を払うことも重要だ。研究職の採用には、学会内での「評判」が絶大な影響を及ぼす。事実無根の悪い噂でも、一度立てられてしまったら相当のダメージを受ける。学会内には、ネットの匿名書き込みを素直に信じる無垢な人達も多いのだ。どんなに時間の無駄に思われる学会の集まり、シンポジウム、セミナー等にも足繁く通い、仲のいい研究者を増やしておくことが必要だ。

論文をできるだけ大量生産しておくことも必要だ。イマイチな内容でも、査読つきの英文誌に受理されればそれでよい。ポスドクなら、筆頭著者(first author)の論文が多くないといけない。その上で、できるだけ他人の研究に協力して、共著論文を量産する。

このように、「理系」とは無関係のことに多くのエネルギーを使う必要がある。が、「それも研究者としての能力のうち」、と言われればそれまでなのだ。

私は、この現実は研究者にとって不当に厳し過ぎると思う。いい研究成果を出してもらう上でもマイナスと思うのだが。

でもまあいい。アカデミックの研究職にそれほど強い執着がなければ、アカデミックでない職を探すまでだ。その方が世のため人のためになる仕事ができる可能性も高いし。。

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2009年1月20日 (火)

ポスドク (5) 公募の憂鬱

近年、アカデミックなポストに研究者を採用する時は、おしなべて「公募」することとなっている。

研究者の流動性を高める、人事の公平性・公開性・開放性を高める、などが理由だ。ポスドクの応募先も、個人的に苦労して探さずとも、日本国内であれば公募で見つかることが多いだろう。

こういった公募の情報は、学術誌や学会誌の後ろの方のページにある公募情報の欄や、各研究機関のWebページなどでも得られるが、決定版は、科学技術振興機構(JST)の研究者人材データベース『JREC-IN』だろう。URLは、http://jrecin.jst.go.jp/ だ。

このJREC-INを見れば、「こんなにも多くの研究職が公募されているのか!」と驚くことだろう。

残念ながら、ここに並ぶ「公募」の大部分では、有力な候補者(本命)は既に内々に決まっているはずだ。「本命」になる人には、採用する側から直接声をかけて、公募に「応募」してもらうのだ。いわば出来レースだ。にもかかわらず公募の体裁はとらなければならないから、こういう「公募情報」として公開されているのだ。

それが一概に悪いこととは言えないが、有力なコネを持たない者にとっては憂鬱なことだ。もちろん、本命が100%確実に採用されるというわけではないが、客観的な点数など付けようもない以上、本命が落とされることはまずないだろう。

幸いと言うべきか、ポスドクレベルのポジションであれば、本当に公募(本命のない公募)のことも多い。特に、理化学研究所などのように、大学でない公的研究機関のポスドクは本当に公募されることが多いように思う。ポスドク志望者は要チェックだ。

ただし問題は、ポスドクの任期を終えた後なのだが。。

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2009年1月18日 (日)

ポスドク (4) 推薦状

ポスドクに限らず、アカデミックな研究職のポストに応募する時には必ず、2通程度の「推薦状」を提出しなければならなくなる。

誰に推薦状を書いてもらうかというと、お世話になった(なっている)指導教員、恩師など、日頃懇意にしていて自分の研究内容をある程度理解しているような知り合いの研究者に頼むのだ。

現在の指導教員、あるいは近い過去に指導教員だった人に推薦状を頼んで断られることはまずない。断られるとすれば、余程嫌われてしまった場合だろう。いずれにせよ、いつでも推薦状を書いてくれるような関係の格上の研究者を、少なくとも2、3名は持っておくように注意しなければならない。

研究者としての礼儀上、余程の合理的理由がない限り、頼まれた推薦状は書くものだ。頼まれる立場の人もまた、そうやって誰かのお世話になってきたのだ。だから、推薦状を依頼する時に遠慮する必要はない。ただし、研究者はすべて「忙しい」ので、十分な時間の余裕を持って、できるだけ早目に頼むべきだ。

依頼する時には、応募しようとしているポストの概要(どういう研究室のどういう身分か)を伝えなければならない。また、いくら懇意にしている先生であっても、自分の略歴、業績目録、応募に際してアピールしたいこと、くらいはあらためて文書なりメールなりで伝えておくべきだ。

推薦状の内容を、推薦される本人が見ることはできない(少なくとも原則としては)。封筒に入れて封をされた状態で渡される。しかし、内容には定型的なパターン(構成と内容)がある。次のようなものだ:

  1. まず、推薦される人(応募者)と自分(推薦者)との関係(いつどのように知り合って、どのような関係にあるのか)を記す。要するに、自分が推薦状を書くに足る立場にあることを示すわけだ。
  2. 応募者のこれまでの研究業績、研究歴の概要を簡潔に記す。これによって、応募者の研究内容を理解している(自分が推薦者として適格である)ことをさらに示すとともに、応募者が優れた実績を挙げていることをアピールしてあげる。
  3. 応募者の人となりを記す。研究内容自体だけでなく、研究室の運営に積極的に関わったとか、後輩の面倒をよく見たとか、要するに、この人を採用すれば採用する側にプラスになると思われることをアピールしてあげる。
  4. 稀に、応募者のマイナス面も記す。これを書くことはまずない。しかし、2や3であまりにも応募者を褒めちぎり過ぎて、推薦状自体の信憑性が疑われるほどになった場合は、バランスをとって客観性・公平性をアピールする意味で、今後改善が期待される点を若干記すことはあり得る(「研究熱心のあまり○○」、とか)。しかしあくまで、採用にマイナスにならない範囲でだ。
  5. 以上から、応募者がこのポストにふさわしいということを結論付け、心から推薦する旨の言葉で結ぶ。

この構成と内容は、不文律と言っていいくらいに決まっている。あとは、応募者から渡された応募者固有の情報をこのパターンの中に当てはめれば、推薦状が完成するわけだ。推薦状は、A4用紙1枚にまとめるのが通常だ。

要するに、仮に「イマイチな奴だな」と思っていても、応募者のマイナスになるようなことは書かない。それが理系研究者の礼儀なのだ。

つまり、推薦状の内容自体は、さほど意味がないとも言える。応募者が、しっかりした地位にある研究者の何人かと、推薦状を書いてもらえるような良好な関係にあるとアピールすることに意味があるのだ。

アカデミックな研究者の道を進む限り、最終的な終身雇用のポスト(教授とか主任研究員とか)に辿り着くまでは、推薦状を書いてもらう身分を脱することはない。

アカデミックな研究職で生きていくには、人間関係が意外なほど重要なのであった。。

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2009年1月17日 (土)

共通一次世代

コネタマ参加中: 入学試験の思い出は?

1月17、18日は大学入試センター試験があるそうだ。

私が大学受験したのは1980年代始め。その頃は、「共通一次試験」と呼ばれていた。兵庫県加古川市の公立高校に通っていた私の受験会場は、神戸市の垂水駅に近い大学だった。多分、神戸商科大学だったと思う。

5教科7科目、1000点満点。英語、数学、国語が各200点満点。理科は2科目選択で各100点満点、計200点満点。社会も2科目選択で各100点満点、計200点満点。私は、理科は物理と化学、社会は世界史と倫理・社会を選択した。

1979年から始まった共通一次試験は、マークシート方式を取り入れたことで話題になった。大量の問題。解答は選択肢から選ぶ。選んだ選択肢の楕円のマークを鉛筆で丁寧に塗りつぶす。。

この機械的な、当時としては前衛的な解答方法の見た目に惑わされ、「思考能力がなくても点が取れる」とか、「小手先の技術ばかり重視している」とか、その類の批判がいろいろとあった。

そして、あろうことか、共通一次試験を受ける羽目になった私達の世代を「共通一次世代」と揶揄する者まで現れた。

しかし、「○○世代」という妄想を根拠に展開される議論は、粗雑なものと決まっている。マークシートなんて、大学入試に限らずその後当たり前のものとなったではないか。

共通一次試験は、試験後に「自己採点」ができた。自己採点の結果は、961点。いい点だったからよく覚えているのだ。これだけ取れば、二次試験で受ける大学の選択肢も広がろうというものだ。

当時、国立大学は一校しか受験できなかった。私は、私立大学を受験する気がなかったので、国立大学一校だけを受験した。浪人する気もなかったので、受験した国立大学には一発で合格するつもりでいた。受験にあまりお金を使う気もなかった私は、塾にも通わなかった(通信添削はちょっとやった)。共通一次試験での高得点のお蔭もあってか、幸い一校一回の受験で済んだ。

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2009年1月14日 (水)

ポスドク (3) 海を渡ろう

最近は、海外でポスドクをする人が減っているようだ。

理由の一つとして、日本国内でふさわしい研究室が見つかりやすくなったということがあるかもしれない。外国から日本にポスドクに来る人も増えている。これは歓迎すべきことだ。

しかし、せっかく身軽な時期。ここは一つ、ポスドク先の選択肢を日本国内に限定せずに考えたい。

海外でポスドクとなると、分野にもよるが、やはりアメリカかイギリスが多くなるだろう。私のような生命科学研究者の場合、圧倒的にアメリカ、イギリスが多い。国全体としての研究レベルが優れているということはもとより、日常言語が英語ですむということもあるだろう。

一昔前は、日本のポスドクは大歓迎されていたようだ。とにかく勤勉に黙々とよく働くから。ところが知り合いの研究者達によると、最近、海外での日本のポスドクの評判はいまひとつらしい。前ほどよく働かないという。

汚名挽回。是非、積極的に海外でポスドクをしようという人が増えることを望む。1年でも2年でも、海外に住んで、そこの研究室で働けば、100回海外出張しても得られないような経験と自信が得られることは間違いない。

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2009年1月12日 (月)

ポスドク (2) 受け入れ先を見つける

Ph.D.(博士号)をとって次にポスドクを始めるには、まず受け入れ先の研究室を見つけなければならない。

博士号をとった研究室でそのまま続けてしばらくポスドクとして過ごす場合もあるだろう。その場合でも、機会を見つけて他の研究室(できればアメリカかヨーロッパの研究室)のポスドクを経験した方がいい。

他の研究室でポスドクをするには、まず研究室の指導教員に相談して、受け入れ先を紹介してもらうのがよい。これが最も賢明かつ簡単・確実だ。指導教員は、多少とも個人的に付き合いのある研究者の中から、ポスドクを受け入れてくれそうな人を選んで紹介してくれるだろう。

何らかの事情があって自分で受け入れ先を見つける必要がある場合は、学会を利用して他の研究室の先生と知り合いになっておくのがよい。学会にただ参加するだけではいけない。必ず研究発表をして、他の研究室の先生に聞いてもらい、多少とも興味を持ってもらわないと話が始まらない。さらに加えて、できれば専門誌に論文をいくつか発表して、その別刷を送付(「謹呈」)しておきたいところだ。

私の場合は、アメリカで開かれたシンポジウムで口頭発表をしたときに知り合いになった先生に個人的に話をつけた。ただし、その前に専門誌に論文をいくつか発表していたので、名前だけは既に知ってもらっていたようだ。

博士課程の指導教員に紹介してもらうにせよ、自分で探すにせよ、ポスドクとして歓迎して受け入れてもらうには、学会発表・論文発表を通して名前を売り込んでおくのが一番だ。

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2009年1月11日 (日)

ゲゲゲの鬼太郎、カランコロンの歌、、初代ドラえもん

コネタマ参加中: 大好きなアニソン(アニメソング)は何?

幼稚園から小学校低学年の時期に見ていたアニメは、強烈な記憶として残るのだろう。私の場合それは、1960年代末から1970年代の初めにかけての時期だった。

『ゲゲゲの鬼太郎』。60年代末の1作目と、70年代初めの2作目。水木しげる作詞、いずみたく作曲。熊倉一雄さんの歌う「ゲッ、ゲッ、ゲッゲゲのげー」。2作目のオープニングに出てくる墓場の墓に書かれた「山上…」という名前がずっと気になっている。

エンディングテーマの『カランコロンの歌』も強く印象に残っている。サザエさんの声をしている加藤みどりさんの「カラーンコローン、カランカランコロン・・・」。

それともう一つ、70年代初め、小学校3年くらいの時だったと思う。『ドラえもん』。これの演歌風のオープニング曲が、なぜか強く印象に残っていて、時々頭の中で唄ってしまう。

「ぼっくーのドラえもんーが、まっちーをあるーけば、みんな、みんな、ふーりかーえーるーよ、はぁドラドラ、はぁドラドラ」。ドラえもんの声は富田耕生さんがやっていた。何となくオヤジっぽい悲哀を漂わせたドラえもんだった。

だから私の頭の中では、ドラえもんと言えばそのオヤジっぽいドラえもん。その後人気が出た大山のぶ代さんの声のドラえもんは頭に浮かばない。

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2009年1月10日 (土)

「一日三食」「朝食」を食べると健康にいいという強迫観念

「一日三食食べないと不健康」というのは合理的な理由からではなく、そうすると一日を通してほぼ「空腹感を感じずにすむから」だ。そして、一日を通して空腹感を感じずにすむことは健康的なことではない。食後最初の空腹感に負けて次の食事をとってしまうと、よほど激しい運動でもしない限り過剰な栄養を蓄積し続けることになる。。

ということは以前にも書いた:
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-f22e.html

「一日三食」とほぼ同じ強迫観念として「朝食を食べないと不健康」というものがある。朝食を食べるのは問題ない。しかしその場合は、昼食か夕食、またはその両方を抜いた方がいいかもしれない。あるいは最悪でも、通常の一食か二食分を少量ずつ小分けにして三食にするとよいかもしれない。

「朝食を食べないと午前中の能率が上がらない」とすれば、それは空腹感が気になってしまうからだろう。気になるのは、「空腹=不健康」と信じているためということもあるかもしれない。

「朝食を食べない子供は頭が悪い」という恐ろしい統計もあるようだ。これは「統計でウソをつく」の類だろう。うかつに信じてはいけない。相関関係と因果関係の違いにも気をつける必要がある。

「朝食で血糖値が上がらないと頭が働かない」というのも非科学的だ。食後に一時的に上がった血糖値は、すぐに下降して通常レベルに戻り、その後は一日程度は何も食べなくても血糖値のレベルは保たれる。ホメオスタシス(恒常性維持)だ。その間は、グリコーゲン・脂肪として蓄えられていたものがグルコースに分解されて血糖値を維持する。

コラーゲン、ヒアルロン酸を食べて健康になろうというのと同じで、食事で血糖値を上げて健康になろうというのも、不健康な強迫観念だ。

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2009年1月 9日 (金)

雨がみぞれに変わる頃

今日金曜の未明から朝にかけて、東京23区内でも雪が降るという予報。今午前2時半。先ほどから軽い雨が降っている様子。間もなくみぞれに変わる気配。。

雨がみぞれに変わる頃。。。堀内孝雄『東京発』を思い出す。

十二年前の今頃、私はアメリカの国立衛生研究所(NIH)でのズブズブに理系なポスドク生活を始めるために、日本を離れようとしていた。

ロック、クラシック、演歌、何でもありの私が、手荷物でアメリカに持っていったCDの中の一枚に『東京発』が入っていた。時計の針が昔に戻る…。あの時も雪が降っていた記憶が。

東京発、北国へ。。
ただし、北は北でも国境を越えて米国メリーランド州まで行ってしまった。到着した日の気温は、マイナス12℃だった。遠い思い出。

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ポスドク (1)

ちょうど10年前の1月、私は米国での2年間のポスドク生活を終えて、日本に帰国する準備をしていた。。

本格的な研究職をめざす人なら通常、博士号(Ph.D.)をとってから2年~数年程度、「ポスドク」生活を送ることになる。ポスドク(postdoctoral fellow; postdoc)は、任期付きで給料もあまり高くない。私の場合、米国の National Institutes of Health (NIH) (米国立衛生研究所)というところでポスドクをしたが、2年単位の任期で、給与は年間ぴったり3万ドルだった。

その代わり、所属機関の運営に関わる雑用がないので、研究に専念できる。実際どこの研究室でも、ポスドクは最もコストパフォーマンスのいい戦力として期待されている。ここでしっかりと研究成果を出しておくことが重要だ。

そうやって研究三昧の生活を送りながら、どこかの大学の助手(今の「助教」)なり、研究機関の研究職員なりのポストが見つかるのを待つわけだ。

しかし最近の日本では、ポスドクを経て、さらに本格的な研究職(特にアカデミックでの研究職)の道を進んでいくことは、著しく厳しいものとなっている。研究職を目指してポスドクを始めようという人は、よくよく考えて決意を固めておく方がいい。「理系」の道は、アカデミックな研究職でなくても追求できるのだし。。。

(続)

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2009年1月 8日 (木)

運勢共同体

コネタマ参加中: おみくじ引いた? 2009年の運勢と抱負を教えて!

毎年、元旦の深夜にテレビで「十二支・星座・血液型」の576タイプ別の運勢占いをやっている。

一昨年たまたま見た時、私は1位だった。昨年は見てないが、今年は見た。567位だった。

そんなことより、私の「運勢」が福原愛ちゃんと同じであることを知った。

たつ年・さそり座・B型。永久に「運勢」を共有する、「運勢共同体」。なのか?

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ぱふゅーむのAKIHABALOVE。。。はカラオケにない?

コネタマ参加中: 年末年始、カラオケでよく歌ったのは何?

年末年始、カラオケでよく歌ったのは…

年末年始、カラオケに行かなかった。正確には、行ったがいつも満室だったので、歌わなかった。

しかし歌っていたとしたら、ぱふゅーむの『AKIHABALOVE』をよく歌ったと思う。

え? 『AKIHABALOVE』はカラオケにない? そう言えば、以前行った時には見かけなかったが。。。

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風呂は壊れるものだ

私の住む都内の6階建賃貸マンションは古い。築35年を越えている。

1970年代初頭、当時としては最新のこのような集合住宅が都内にたくさんできたのだろう。都内にはこのようなレトロなマンションがたくさん残っている。

当時のマンションは概して、建築屋さんが気合を入れて頑丈に作ったらしい。幸か不幸かまだまだ住める。取り壊されもせずにしぶとく現役で頑張っている。

品川区内。複数の鉄道の路線が交叉する駅の近く。にもかかわらず何とか借りられる程度に安いのは、古くて時代遅れだからだ。

古さを感じるのは、お湯の出方だ。台所では小型瞬間湯沸し器を使う。風呂は、浴槽脇の器具を数段階にわたり順序よく操作してやっと種火がつく。洗面所ではお湯は出ない。

昨年末、台所の瞬間湯沸し器が壊れた。2週間近くにわたり、冬の冷水で洗面、炊事をすることとなった。これはまあ、私が大学生の頃までは普通のことだったから、深刻な問題ではなかった。

しかし昨日、風呂が壊れた。最初に風呂場の外の電源を入れなければならないのだが、この電源が入らなくなったのだ。

急いで修理を手配して、明日業者が来ることになった。すぐに直ればいいが、しばらく家で風呂に入れない可能性もある。これは不便だ。銭湯に行かなければならない。しかし、大学生の頃はずっと風呂は銭湯だったから、それ自体は深刻な問題ではない。

近くに銭湯があれば、だが。

最近は銭湯が減っている。しかも料金が450円前後らしい。20年前は200円位だった(京都では)。また、大体夜11時頃までしか営業していない。帰宅が遅いとアウトだ。漫画喫茶でシャワーという手もあるようだが、住まずに通いながら連日利用するのは厳しい。

風呂は壊れるものだ。。と思い知った。

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2009年1月 7日 (水)

Ph.D. (ピーエイチディー)

理系の研究者になりたい場合は、何としてもPh.D.(博士号)を取っておく必要がある。このPh.D.がないと、研究者として扱ってもらえない(特に外国では)。医師免許などと同様の一種の「資格」と見なされているのだ。

(日本企業の研究部門で終身雇用される研究員には修士卒の人も多い。入社してからその会社に適した研究者として育て上げるということなのだろう。)

ところでこの、Ph.D.(ピーエイチディー)。Doctor of Philosophyの略。しかしそのようにスペルアウトされることはまずない。「哲学博士」と逐語訳する人もいるようだが、それは大変奇妙な日本語訳だ。決して「哲学」を専攻しているわけではない。

昔、英国人の同僚研究者にこの「Doctor of Philosophy」の「Philosophy」の由来を聞いたところ、中世とかルネサンスとかの昔のヨーロッパでは科学やその類の研究を全部ひっくるめてそう呼んでいたからじゃないか、というような答えだった。

要は、日本での理学・工学・薬学・医学・農学・文学等々、何であれ博士号は英語で言えば「Ph.D.」だ。国によって学位制度に違いがあるが、私の知る限り、英語でコミュニケートする場合には国際的に必ずこの「Ph.D.」が使われている。

たまに日本の人で、例えば「理学博士」(最近は博士(理学))を「Doctor of Science」と、これまた妙に逐語訳する人がいるが、これは国際的には通じない。まともな「博士」と思ってもらえない危険が大なので注意が必要だ。

専攻分野を示す場合は、例えば、「Ph.D. in Biochemistry」などとなる。私は、Ph.D. in Biophysicsだ。

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2009年1月 6日 (火)

今年の連休

2009年1月5日(月)。仕事始め。今年は年末年始休暇があっという間に過ぎた気がする(6連休もあったわけだが)。

そこで、次の年末年始休暇を楽しみにしつつカレンダーを調べる。今年2009年の連休は…

週休二日(土日)制の場合で三連休以上のものは次の通り:
1月10日(土)~12日(月) 三連休
3月20日(金)~22日(日) 三連休
5月2日(土)~6日(水) 五連休
7月18日(土)~20日(月) 三連休
9月19日(土)~23日(水) 五連休
10月10日(土)~12日(月) 三連休
11月21日(土)~23日(月) 三連休
12月29日(火)~2010年1月3日(日) 六連休

今年は9月に異変がある。9月第3月曜と最近定められた敬老の日が21日(月)に当たり、23日(水)は秋分の日。合間の22日(火)が「国民の休日」扱いとなって、今年は9月に五連休があるのだ。

その他、2月11日(水)の「建国記念の日」の前後どちらかあるいは両方に有給休暇を二日とれば、2月にも五連休あるいは九連休が実現する。

4月29日(水)の昭和の日の前に有給休暇を二日とれば、4月に五連休。後に二日とれば、5月にかけての八連休。前後ともにとれば十二連休! さらに5月7、8日も有給休暇とすれば十六連休!!

こんなに毎月のように長い休みがあるのもちょっと心配なような。

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2009年1月 4日 (日)

確率占い

年末年始には運勢占いが繁盛する。しばらく見かけなかったあのオバサンまでテレビCMに顔を出し始めた。気に食わない人を占いで恫喝するあの霊感商法もどきのオバサンだ。

「占いは統計学」と言う人がいる。ならば、確率を示してはどうか。「今年お金が儲かる確率は○○%」とか。天気予報のように。

占いを信じる人で、天気予報が外れたら腹が立つ人は、是非、占いが外れた時にも腹を立てるべきだ。そして、占いにも確率を示すよう求めるべきだ。

確率を示されれば、外れた時に文句を言いにくくなる。しかし、その占いがどの程度正確か、後で評価できるようになる。

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2009年1月 3日 (土)

プラスマイナスゼロ思考

マイナス思考(ネガティブ思考)とは、不安や恐怖などのために、現実よりも悪く事態を解釈する思考のことだ。うまくいくものも台無しにする損な考え方だ。理系的でない。

一方、プラス思考(ポジティブ思考)とは、できるだけ明るく前向きに、いい結果が出ることを信じて努力するような思考のことだろう。マイナス思考よりましだが、wishful thinking、希望的観測、非現実的な願望、現実から目を背けた気安めに陥りやすい。何より、事実に基づいて思考する理系にとって、いい結果を「信じる」必要がない。

理系は、プラスマイナスゼロ思考だ。

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2009年1月 2日 (金)

血液型と性格? B型の人は…

B型の人は…

まず自分がBB型かBO型か調べる必要がある。

同様にA型の人は、AA型か、AO型か調べる必要がある。AB型はAB型のみ、O型もOO型のみ(もっとも、ABO式血液型に関連する遺伝子型にはもっと様々なタイプが存在するようだが、とりあえず細かいことは抜きにして)。

簡単に言ってABO式血液型は、α-1,3-N-acetylgalactosaminyltransferaseという糖転移酵素をコードする遺伝子の型の違いに起因している。この酵素がN-アセチルガラクトサミンという糖を転移する型がA型、ガラクトースという糖を転移する型がB型、糖を転移する機能を失った型がO型だ。

ヒトは二倍体だ(父由来と母由来の遺伝子を持つ)。この酵素をコードする遺伝子も父由来と母由来の2つを1セットで持っている。AA型かAO型なら表現型としてはA型、BB型かBO型ならB型、AB型はAB型、OO型はO型。

こういった型の違い(遺伝子多型)は、他のどの遺伝子にもある。何故、3万とも言われるヒト遺伝子の中のたった1つ、α-1,3-N-acetylgalactosaminyltransferase遺伝子のみに注目して、「性格」との相関を取り沙汰するようになったのか。

ABO式血液型が身近だから。それに尽きるだろう。あと、「血縁」、「血筋」などの言葉でもわかるように、遺伝は血で決まるという石器時代の考えが今でも残っているからか。

もちろん理系的には、ABO式血液型が「性格」と相関するという根拠も、「性格」が4通りに分類されるという根拠も、「性格」が遺伝子だけで決まるという根拠もない。

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Don't try to do it. Just do it.

Don't try to do it. Just do it.
(やってみる、じゃなくて、ただやれ。)

ジッドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)の言葉("Meeting Life : writings and talks on finding your path without retreating from society"より)。理系的な名言だ。

「やってみる」という言葉には、「いい結果が出せないかもしれない」という不安と怖れが現れている。結果に影響するのは、結果を出すために行なう行動のみだ。頭の中で何を妄想していても、それはいい結果を出すためには関係ない。不安や怖れは行動に悪影響を及ぼす。結局同じことをやろうとするのなら、不安や怖れなどの妄想を抱かず淡々と行動する。行動そのものに集中する。それがいい結果を出すための賢明な態度だ。

このフレーズを読んだ時に連想したのが、
Don't think. Feel.

ブルース・リーは、クリシュナムルティに傾倒していたそうだ。この、Don't think. Feel. もクリシュナムルティの著作の影響らしい。

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2009年1月 1日 (木)

2009年1月1日、慈悲喜捨の瞑想

2009年が始まった。今年も、清く正しく理詰めの生き方を極めるために精進しよう。

そんな理系の心を育てるのに有効なのが、「慈悲喜捨の瞑想」だ。私はこれを、テーラワーダ仏教長老のアルボムッレ・スマナサーラさんの著作で知った。

テーラワーダ仏教とは、ブッダ(お釈迦様)のオリジナルの教えを忠実に伝えるもので、インドからスリランカ、タイ、ビルマなどに伝わった、いわゆる南伝仏教だ。ブッダはズブズブに「理系」だったようだ。

以下の言葉を、心の中でひたすら念じる。

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私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私が幸せでありますように
私が幸せでありますように
私が幸せでありますように

私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々に悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々が幸せでありますように

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

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